霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

霊界大使 真魚として、遠い過去世の幼名を霊界の頃から使う事を許されたのだが、僕の名前なのに?でも、現世の僕の家系が真言宗ではなく・・浄土真宗本願寺派


『正真念仏偈』 を味わう Che-lee

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霊界大使 真魚として、
遠い過去世の幼名を霊界の頃から
使う事を許されたのだが、
僕の名前なのに?
でも、現世の僕の家系が真言宗ではなく、
何故に浄土真宗の家系なのかが年を
重ねる度に解る気がしてきた。

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ただし、皆様には前世という概念が
輪廻の狭間で肉体も魂もリセットされている為に
この世でも、霊界でも、似たことを繰り返していても、
霊界では来世の生れ変わりは無いと言ってみたり、
そう言っていた人がこの地球に生まれ変われば、
死後の世界は無いといっていたりと、
それを無制限に等しく、繰り返しているものだ。

だから、僕の話は霊界のYahoo!ブログにも
僕が現世のベースとなった霊界版の21世紀の頃に
書き記した内容を、霊界時の内容と
今の僕がこうして書いている内容の誤差を、
霊界スタッフ(俗に言う守護霊)指導の下、
霊界のYahoo!スタッフが修正している状態です。

それらの霊界での出来事が地上に反映される、
21世紀後半の世界には、今の僕はこの世には居ません。
霊界で来世のベースとなる未来文明世界で
輪廻1サイクルの後半戦ともいえる、
二度目の人生が始まります。

でも、それらは来世の過去の背景という話にもなります。

そういった中で、話を戻します。
弘法大師空海として、祭りあげられて
僕が生きた理由は、
空海として先に空海の人生を霊界版で営んだ
霊界当時から過去宇宙の地球上のハイテク文明期を
生きて来た記憶が
その過去宇宙からの間、輪廻転生を休んでいたので・・
当然、霊界当時は昨日のように覚えていました。

それらの記憶も実体化する空海として地球に転生した時に、
大半はリセットされたが、
時より、過去宇宙のハイテク文明が
何も無い時代に相反して、
時よりフラッシュバックしてました。

元々・・そういう暮らしをしていた??
薄々・・それを感じながら、あれこれ周りに揶揄されながらも、
自分が暮らしていた時代に、少しでも早く時代を進めて
僕が転生しやすい環境を手助けしたかった。

そういう意味では、現世は一つの夢が叶ったともいえます。
自由気ままな、ハイテク文明創世記の町人という夢がね・・

それでも、町人風情で
この地球の俗世間では、
霊界大使という怪しい立ち回りなので、
相応の苦悩はありますがね。

そういった中で、多数の輪廻を繰り返しながら回り回って、
霊界版の20世紀頃の霊界の頃に、
霊界の総本部?怪しい造語になってしまうが??
その彼らに押し付けられるように、
古代文明や日本を開いたことも、
僕が空海だったことも忘れた頃に
自由気ままなハイテク文明創世記の町人として、
夢を叶えてやったから、霊界総本部がその見返りとして、
膨大な輪廻の集約期および、
アカシックレコードの開眼期でもある
僕に、町人のままでできる霊界大使の話を持ってきたわけです。
さらに、その見返りを僕は要求しました。

その延長の今や、地球末期までの輪廻及び、
先々に再構築される宇宙の未来や輪廻へと波及する
見返りを約束した経緯があります。

何度も言うように、皆様には人生終焉後の霊界でようやく
僕の話が繋がります。
しかし、残念なことに
話がようやく繋がっても、
その生まれ変わった来世では・・
再び、オカルト域の扱いに埋もれる話ではありますがね。

でも、それが霊界と輪廻する側が保つ距離感でもあるわけです。

そして、つい前世まで
原始的かつ本能だけで生きて死ぬだけの人生を
辛い人生だけではないが、ほぼ犬死同然の生まれ変わりが
続いていたので、逆を言えば・・
そういう生き方の中で、魂の基盤として重要な
生存本能をしっかりと再構築してゆく
過程の輪廻の必要性が、
魂のバイオリズムに於いては、
世間体や法律はどうあれ、毒と薬の狭間の中で
無意識に溶け込んでいたことにも気が付かないで
生き続けて来た意味があります。

そして、話を今度こそ元に戻しますが。

僕が空海として、共に生きる民として
皆に伝えたかった本質にもっとも近い教えが、
実は僕の先に発展させた真言宗ではなく、
変わり者でもあった、親鸞もしくは・・
現世の元タレントの島田紳助が辿り着いた結論だったわけです。

そのエッセンスが凝縮したお経が、
僕が好んでそれっぽく読んでいたお経の、
正信念仏偈に隠されていました。
この和訳?解説を知るまで・・
話が繋がってはこなかった。

ただ、人類創世記の人類アフリカ大移動の如し
壮大で、万物の本質を遠まわしながら
仏教的に説いているお経だという認識しか無く、
さらに、このお経の誰かに語りかけるような、
リズム感が好きなだけでした。

しかし、知ると・・
実際の霊界は話した通りながら、
霊界が肉体を挟んで遠い、俗世間で
全世界をとりまとめる、霊界の総本部が
主張する意味合いや、俗世間との死後の世界との
距離感が絶妙なニュアンスで説かれている。

善悪や願望やエゴでは無い、
丸裸の魂のバイオリズムの一面を
遠まわしでも、
絶妙にお経と言う唄にしていること、
そこに、年を重ねるごとに共感するようになりました。

お経の中に海を渡る船の話が出てくる、
過去の僕が中国に渡ろうとして、
難破した出来事と通じる部分もあります。

さらに、今思えば・・
元タレントの島田紳助の前は親鸞聖人であり、
親鸞の前世が、霊界で聞いた話によると、
最澄という話もでた。
でなければ、一人の僧侶が境遇を変え、親鸞と名乗り
歴史に名を残せるわけがない。
興味深いことは、実の息子も問題児で
二代目の浄土真宗家督は孫が継いでいるという、
核家族化の先駆け的な流れでもある。

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親鸞聖人
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現世の島田紳助

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あとは、歴史の教科書や文献の方が詳しいだろうが、
一緒に海を渡った、戦友である・・
最澄は同士であり、何かしらの感銘はお互いに受けていた
延長の現世の僕が、かつての最澄親鸞として開いた
浄土真宗の家系ということなら・・
解る気がします。

さらに、僕自身もしばらくは
霊界及び、地上で僕が空海として認識されても、
一度生まれ変わる度に・・
過去世の僕が誰であろうと、解らなくなっていきます。
僕ほどの屈強な魂の核を持っていてもですね。

さらに、僕自身も生活に追われる中で・・
そんな過去世はどうでも良くなるから、
霊界で呼び止められるまでは、名の無き町人でしかないと
僕自身も感じる訳です。

それでも、宇宙が始まる前の無界や
宇宙のバイオリズムの情景だけは
リセットされにくい魂の核の中で、
何故か?
焼きつけ続けていますね。

その総称がアカシックレコードです。

では、最後にといっても・・
解説サイトの長いこの正信偈のお経の解説で
さらに、長文になりますが
その解説をつづって、
この記事を閉じようと思います。




そもそも、正信偈とは何か  
正信偈御文・現代語訳
Google検索で見かけたサイトさんを引用。


浄土真宗門徒の方なら聞かれたことがあると思います。

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつると読みます。

これは、親鸞聖人ご自身のことを書かれていますから、

親鸞無量寿如来に帰命したぞ、
親鸞は不可思議光に南無したぞ、

ということです。

ここで、4つの仏教の専門用語が出てきます。
無量寿如来」「帰命」「不可思議光」「南無」

無量寿如来」と「不可思議光」は、
ともに、阿弥陀如来の別名です。

(関連:お釈迦さまと阿弥陀仏は、同じ仏さまですか?)

「帰命」と「南無」も同じ意味で、
救われた、助けられたという意味です。

正信偈の最初の二行は、言葉を変えて、同じことが繰り返されています。

親鸞は、阿弥陀如来に救われたぞ
親鸞は、阿弥陀如来に助けられたぞ

どうして同じことを二回、書かれているのでしょうか。

それは、書いても書いても書き尽くせない喜びを表されています。
阿弥陀如来に救われた喜びは、限りなく大きいのです。

親鸞聖人は、阿弥陀如来によって、苦しみの人生が幸せな人生にガラリと変わった驚き、喜びを仰っています。

この二行から、正信偈は始まります。

 

そして

道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説
(どうぞくじしゅうぐどうしん ゆいかしんしこうそうせつ)

で締めくくられています。

道俗時衆、共に同心し、唯、この高僧の説を信ずべしと読みます。

道俗時衆とは、すべての人。
「皆の人よ、ともに親鸞と同じ心になってくれよ。
それには、ただ、この高僧の説を信じる一つだよ」とおっしゃったお言葉で、
高僧とは、親鸞聖人が尊敬しておられる七高僧のことです。

親鸞聖人は、自分だけではなく、すべての人に、自分と同じように、本当の幸せになってもらいたいと仰っています。

正信偈』の120行は、最初の2行と最後の2行、この4行におさまります。

 

(質問):七高僧とは、どなたのことですか?
(解答)

親鸞聖人は『正信偈』に、阿弥陀仏の本願を正確に多くの人に伝えられた方として、
7人の名前を挙げておられます。

インドの龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)、天親菩薩(てんじんぼさつ)

中国の曇鸞大師(どんらんだいし)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)、善導大師(ぜんどうだいし)

日本の源信僧都(げんしんそうず)、法然源空)上人(ほうねんしょうにん)の7人で、

「これらの方がましませばこそ、親鸞は弥陀の本願に救い摂られ、言っても言っても言い尽くせない喜びの身になることができたのだ」と、その功績を明らかにしておられます。

 

(質問):『正信偈』の「正信」とはどんな意味ですか?
(解答)

「正信」とは正しい信心のことです。

正しい信心とは、正信偈の最初に繰り返し書かれている、
阿弥陀如来に救いとられて、本当の幸せになったことをいいます。

それ一つ、教えられているのが『正信偈』です。

親鸞聖人は『難思の弘誓は難度の海を度する大船』と譬えで
教えられています。

『難思の弘誓は難度の海を度する大船』の意味がわかれば、
正信偈の意味もわかります。


それと、現世の僕の家系が浄土真宗であり、
こういう機会だから、記事にしましたが・・
基本的に霊界大使としての僕は、
境遇に於ける平等の名のもとに、
様々な霊界当時からの相互関係や境遇がある中で、
そこに付随して、様々な家系や宗教があるわけなので、
僕の家系の浄土真宗が全て正しいということを
主張するつもりは、一切ございません。

ただし、政治介入が憲法違反にもかかわらず
癒着関係にある、某宗教や露骨に反社会性を伴う
カルト指定の宗教関連には、正直いって良くは思いませんね。



以上です。


また、宜しくお願いします。
Have a nice day!!









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皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 
 
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最近結構、ここに居ます。笑

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