霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

日本の天皇陛下!ローマ法王も上座を譲るほどの権威!話は簡単ではないだろうが、我ら生粋の日本人である事を左周りの人達に誇示する意味ではなく、母国を学ぶことそのものは、どのような政治の意図が絡んでも・・


世界最強 日本の天皇陛下!ローマ法王も上座を譲るとてつもない権威!日本人が知らない世界一の権威である所以とは…

イメージ 1


僕の持論になりますが・・
日本の天皇陛下ローマ法王も上座を譲るほどの権威!
話は簡単ではないだろうが、
我ら生粋の日本人である事を左周りの人達に誇示する意味ではなく
日本国家の基礎概念として母国を学ぶことそのものは
どのような政治の意図が絡んでも否定すべきではない。

何故なら、地に足の着かない未来など一時、
何かの拍子でお金の回りが良くなったとしても地に足が着かなければ、
何も根付かないし大事な国の根幹そのものが構築出来ない。

つまり、様々なインフラや歴史や文化等の
ライフラインの根幹の領域になるほどに、
利益や損得の先にあるであろう。
世界の人々・文明の全てに於ける、バイオリズムそのものだと
僕は疑わないし、そういう目に見えにくい大黒柱ような軸は
絶対に必ず抑えるべきです。
たとえ、どのような時代や風潮であってもです。

これが漂流生活が歴史みたいな国々には解らないだろうが、
そういう世界情勢の中で、
どこかの国は日本の役目を機能させなくてはいけません。

かといって、世界の全てが仮に日本人で埋め尽くされたとしても
働きアリの法則(2-6-2の法則)が働いて、
フタを開ければ今の世界情勢と何も変わらなくなることだろう。

だからこそ、日本の我々は世界で、
あくまでもそういう立ち回りであることを理解した上で、
自分らしく生きる為に生きた総和が、
宇宙(霊界)から見た時に、
和睦の精神そのものだった中で世界に、
和とは何かを、なげかけ続ける方が
日本人としての営みとして意味が深いものではなかろうか?

それが、やがて・・
500年後、700年後~1000年(地球の末期)先の人々に
人の神髄とは、和の中にあるという一種の目印になることが、
もっとも尊く真価のある姿形や営みではなかろうか?



補足

wikiペディアより引用

和(わ)

万葉仮名では「わ」音を表す。また、ひらがな「わ」の元になった漢字。
調和、平和、均衡、争わないこと。
和議。以和為貴(「和を以って貴しと為す」、十七条憲法第一条)、など。
和の文化も参照。

和の文化(わのぶんか)、
あるいは、和の精神(わのせいしん)、和の心(わのこころ)とは、
一部の(保守的な)知識人・評論家・思想家らが
日本の精神文化・社会特性を説明するときに用いる用語、
およびその用語を用いた日本の文化に関する
ナラティブ(日本人論)の一つである。
日本民族の文化の本質は、個性重視とする文化ではなく、
集団の秩序と安寧(あんねい)、
また礼儀と作法を重視した文化である。」といったものである。

但し「同調圧力」という言葉もあり、
風潮自体は日本に限られたものではない。

安寧:世の中の平和

日本では、個性や自由より秩序や安寧を重視する人々が、
「日本人は和の文化を持っている民族であり、
秩序や安寧を乱すような個性や自由は許されない」と主張し、
集団の和を大切にすることがある。
逆に集団主義を嫌う人々が、
それを“遅れた日本民族の本質”とし、
“進んだ欧米の個人主義”と対比させるという形で、
この種の言動を唱えることもある。

「和の文化論」に対しても、他の日本人論と同様に、
日本民族の文化と述べたとき、その“日本民族”とはいつの時代の、
どの地域の、どの階層に属する“
日本民族”なのかを無視しているのではないかという批判や、
サンプルを恣意的(身勝手)に選別し、
日本民族の“本質”を述べているのではないかという批判、
さらに“個性重視の欧米”の実態についての疑問などが提示されている。

また、同様の概念を
アジア(ヨーロッパを除くユーラシア大陸)の諸文化にも波及させ、
「本質的に集団主義文化のアジア」と、
「本質的に個人主義文化の欧米」という言説がなされることもある。




十七条憲法

7世紀初頭に成立したとされる十七条憲法では、
第一条と第十条、第十七条にそれぞれ協調の精神が謳われている。
なかでも第一条の冒頭「和を以て貴しと為し」は
非常によく知られており、
十七条憲法を作ったとされる聖徳太子や、
その思想性によって支えられている
天皇天皇制)・国体(皇国)に対する信仰心とも相まって、
日本人の間における
「和」概念の普及・浸透に多大な影響を及ぼし続けている。

ちなみに第十条では「人それぞれ考えに相違があるので、
他人と考えが相違しても怒らない」こと、
第十七条では「独断に陥らず、他者とよく議論をする」ことが、
述べられている。

十七条憲法は、儒教思想と仏教思想が混合する形で成立しているが、
第一条に見られる「和」概念の直接の由来は、儒教にあると考えられる。

論語』の第一篇である「学而」の12節には、
十七条憲法第一条の直接の典拠と考えられる以下の文がある。

礼之用和為貴。
(礼はこれ和を用うるを貴しと為す。)
— 『論語』学而12
また、『論語』の第十三篇である「子路」の23節では
以下のような文が見られる。

君子和而不同、小人同而不和。
(君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。)
— 『論語子路23
また、『孟子』の「公孫丑」篇では、
俗に「天の時、地の利、人の和」と短くまとめられて
言及される以下の文が見られる。

天時不如地利、地利不如人和。
(天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。)
— 『孟子』公孫丑
このように元来、
「和」の概念は儒教においても
一定程度の重要な地位を占める概念であった。
そして、これが十七条憲法の冒頭に持って来られた背景には、
当時の「崇仏論争・崇仏戦争」などと呼ばれるような
内紛的事態の影響があったと考えられる。

大和
古来、日本は「倭」(わ、やまと)の名を用いていたが、
7世紀頃から国号を「日本」へと改め、
また旧来の呼称である「わ、やまと」の漢字表記として、
「和、大和」の表記を用いるようになっていった。
その背景には、当然上記した十七条憲法にも現れているような、
当時の朝廷の意向・思想があったことは言うまでもない。

そしてその後も、「和魂漢才」「和魂洋才」「和字」「和歌」「和書・和装本」「和服・和装」「和食」「和風・和様」「和様建築」「漢和辞典・英和辞典」「大和民族」「大和魂・大和心」といったように、今日に至るまで、「大和(和)」は「日本(日)」と並ぶ自称として日本人に併用され続けている。

このように、「和」という文字が自称として用いられるようになったことも、「和」という概念・思想性が日本人の間に普及・浸透し、
それをアイデンティティ・拠り所とする
日本人を今なお一定数生み出し続ける要因となっている。




最後に、これは僕の持論です。

確かに、和の精神も過剰になり過ぎると、
集団心理に流される危険な一面もあり、
災害時などでは、
一歩間違えば共倒れという局面を招きかねない要素もある。

さらに、個々を尊重する自由主義は確かに素晴らしい。
しかし、そういう理想がが叶わない環境の時代が
遥か1万年以上前の
縄文時代から続いた背景もある。

だから、そういう和による副作用が無い方がおかしいわけで、
そういう意味合いもまた中和して会得してこそ
僕は本当の和の精神ではなかろうか?そう思います。

何せ、対比的に見なければ解らない物事もたくさんありますからね。


以上です。


イメージ 2



また、宜しくお願いします。
Have a nice day!!









☆★☆★☆☆★☆★☆☆
 
皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 


☆★☆★☆☆★☆★☆☆

☆★☆★☆☆★☆★☆☆

最近結構、ここに居ます。笑



投票。。

まあ、、気が向いたら・・?
良いなと思ったらでよいです。

それでも・・・

クリックしていただけると励みになります。  
   

↓↓↓



イメージ 1