霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

太平洋戦争の時代に神風特攻命令を無視した 日本兵9回出撃して9回生還した、佐々木友次さん・・『遥か500年以上残る世界史』


特攻命令を 無視した 日本兵 9回出撃して9回生還 空気に流されない勇気 自分の意志で行動する勇気 国家権力を否定する勇気 自民党・霞ヶ関・経団連に捧げる 推奨・小学校の道徳用教材


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本編の編集した作家様のブログから引用。

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仲間が次々死んでいくなかで…
9回出撃して、9回生きて帰ってきた特攻隊員がいました。

それも、陸軍第一回の特攻隊『万朶隊』の隊員でした。名前は佐々木友次。当時、21歳の若者でした。

とうとう、佐々木友次さんの人生を描く本を出せることになりました。今年の8月に僕は『青空に飛ぶ』(講談社)という、いじめられている中学2年生の男の子が、生き延びた特攻隊員と出会う小説を書きました。死のうと決めていたのに、彼を知って、もう一度生きることを選ぶようになる物語でした。

その特攻隊員が佐々木友次さんでした。僕は、僕自身が作り上げたフィクションの人物が、ノンフィクションの佐々木さんに出会うという、フィクションとノンフィクションを合体させた物語を書きました。

が、今回の『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』は小説ではなく、完全にノンフィクション、佐々木友次さんの人生そのものを書きました。二つの形で、佐々木友次さんについての本を出そうと思ったのは、どうしても、佐々木さんの人生を多くの日本人に知って欲しかったからです。

海軍の第一回の特攻隊は『神風特別攻撃隊』でした。世界的に有名になった零戦カミカゼです。陸軍の『万朶隊』は、その約三週間ほど後に出撃しました。

海軍も陸軍も、一回目の特攻隊員には、優秀なパイロットを選びました。特攻を絶対に成功させる必要があったからです。

が、操縦士達は、ベテランであればあるほど、この決定に怒りました。毎日、血の出るような激しい訓練を続けているのは、操縦技術を磨き、見事、アメリカ艦船に爆弾を命中させるためです。それが、爆撃ではなく体当たりをしろと命令されるのは、パイロットの技術とプライドの完全な否定でした。

佐々木さんも、そして『万朶隊』の岩本益臣隊長も、命令に憤慨しました。『神風特別攻撃隊』の関行男隊長は、出撃前、そのやるせない思いを新聞記者に一対一で語りました。

『万朶隊』の岩本隊長は、「体当たりをしないで爆弾を落とせ」と言いました。あきらかな軍規違反、軍法会議レベルの重罪です。

そして、佐々木さんは、その言葉を守って、9回出撃して、9回生きて帰ってきました。体当たりではなく、爆弾を落として帰ってきたのです。

上官達は、怒りました。すでに佐々木さんの輝かしい特攻戦果はマスコミで大々的に報道され(死んだことになっていたのです)、天皇にまで報告されていました。「次は絶対に帰ってくるな!」「今度は爆弾ではなく、体当たりで船を沈めろ!」「とにかく船ならなんでもいい!」と、上官達は、佐々木さんに死ぬことを求めます。怒鳴り、脅し、面罵しながら、大人達は21歳の佐々木さんを追い詰めました。

けれど、佐々木さんは帰ってきます。守ってくれるはずの岩本隊長はすでにいませんでした。仲間の隊員達は死んでいきます。でも、佐々木さんはたった一人、帰ってきました。

どうして、そんなことができたのか。自暴自棄にならなかったのか。どうして途中で、

「もう、死んでもいいや」

と挫けなかったのか。上司の強引な命令に負けなかったのか。

僕はその秘密をどうしても知りたいと思いました。けれど、無理なことだと思っていました。それは遠い昔の歴史の一ページだと。

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「佐々木さん、生きてますよ」
佐々木さんの存在を知ったのは、2009年でした。特攻隊に関するある本の中で、ほんの数行「八度出撃して、八度帰ってきた佐々木友次」という記述を見つけたのです。僕は衝撃を受け、この人のことをずっと知りたいと思っていました。

毎年、春を過ぎる頃に、テレビ関係者から「鴻上さん、何か終戦特集の企画、ないですか?」と聞かれます。とにかくネタを集めるテレビマンの習性です。

僕はそのたびに、佐々木友次さんの名前を挙げました。番組になれば、佐々木さんについて詳しく分かると思ったのです。

テレビマン達は、みんな、「面白そうですね」と言いましたが、それだけでした。そこから、企画が動くことはありませんでした。

あまりにも今までの特攻のイメージと違っているからか、生き延びたということが何か問題があると思ったのか、とにかく、何も始まりませんでした。

2015年、また、僕はBS朝日の『熱中世代』という番組の上松プロデューサーに佐々木友次さんの話をしました。

僕自身が司会をしている番組で、上松プロデューサーはちょうど、終戦70年特集の企画を探していたのです。

「面白そうですね」と上松プロデューサーは興味深そうな顔をしました。けれど、僕は、いつものことだろうと期待しないままでした。

それが、4月の終り。5月の終りに、番組の収録のためにテレビ朝日に行きました。ロビーに上松プロデューサーがいました。佐々木さんのことを調べたと早口で話した後、僕の顔を見つめました。

「鴻上さん」

上松プロデューサーは真剣な表情で言いました。

「佐々木さん、生きてますよ」

僕は思わず、テレビ朝日のロビーで叫び声を上げていました。

佐々木さんは札幌の病院に入院していました。この時、91歳で、目は不自由になっていましたが、意識はしっかりしていました。

僕は、仕事をなんとかやりくりして、佐々木さんに会いに行きました。そして、いろいろとインタビューしました。

どうして、9回も出撃して、9回も帰ってこれたのですか。「次はどんな船でもいいからぶつかれ!」と叫ばれても、どうして、生きて帰ってこようという気持ちになれたのですか。

佐々木さんは、誠実に、丁寧に、記憶が薄れることなく僕の質問に答えてくれました。

起ち上る「ふたつの違い」
結局、2ヵ月半の間に5回お会いして、いろんな話をうかがいました。

ノンキな話だと、飛行機にトイレは当然ないのでおしっこはしっぱなし。3時間も4時間も飛んでいるので、ズボンをはいたまま、おしっこするのはよくあったということ。しても、かわくから問題はないんだと仰っていました。大きい方はどうするんですか? と聞くと、食糧事情がそんなによくないから、心配するほど出なかったというお返事でした。

戦争中とは言え、空を飛ぶことの楽しさ。海軍のカミカゼ零戦ですが、陸軍の『万朶隊』は、九九式双発軽爆撃機という四人乗りの飛行機を一人で操縦して出撃しました。訓練を積めば、これを自分の羽のように操れると佐々木さんは仰いました。

真剣な話は、「どうして、挫けなかったのですか?」という根本の問いかけでした。佐々木さんの答えに僕は唸りました。

佐々木さんは、じつは僕が最後にお会いした2ヵ月後に92歳で亡くなられました。

本当に奇跡のような偶然が重なって、最後の最後、佐々木さんにお会いできたのです。僕はその事実に打たれました。

ますます、この人の人生をどうしても日本人に伝えたいと思うようになりました。

佐々木さんは優秀なパイロットで、それゆえに特攻隊員に選ばれたと書きました。特攻を絶対に成功させるためです。そもそも、どうして「特攻」を絶対に成功させる必要があったのか、ということは重要な問題です。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』では、佐々木友次さんの人生だけではなく、「特攻とはなんだったのか?」ということを突き止めようとしました。

佐々木さんの人生を書くことは、特攻を書くことで、それはつまり特攻そのものと向き合うことは避けられないと思えたからです。

調べれば調べるほど、「特攻とはなんだったのか?」という問いには答えられないことが分かってきました。

特攻には、「命令した側」と「命令された側」があって、この二つを区別しないで「特攻とはなんだったのか?」と問いかけるのは無意味としか思えないのです。
「命令した側」から見た特攻と、「命令された側」から見た特攻はまったく違っていました。残された証言は、同じひとつの「特攻」を語っているとは思えないほどでした。

また、特攻が「志願」だったのか「命令」だったのかという、今も続く問題も、この二つの視点を区別して考えないと意味がないことも分かってきました。

そもそも、僕は「特攻はムダ死にだったのか?」という問いは意味がないと思っています。死は厳粛なもので、ムダかムダじゃないかという功利性で語るものではないと思っているからです。死は誰がなんと言おうと、どんな状況であろうと尊く厳然としたものです。

私達は、日本人として特攻隊で死んだ人達のことを忘れてはいけないと思います。深く頭を垂れ、悼むべきものです。

だからこそ、「命令した側」と「命令された側」の違い。それから「命令された側」の階級の違い。「志願」と「命令」の問題。成功率などの有効性の真偽を語らなければいけないと思います。

それが、特攻隊というものをずっと民族として記憶していくことだと思うのです。

戦後72年が過ぎて、特攻に対して、客観的に語れる土壌ができてきたと感じています。

それまでは、どうしても感情的になり、冷静な議論も検証もできませんでした。ようやく、僕のような戦争経験がない者も特攻に関して語れる時期になったのではないかと思います。

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本当に書きたかった本です。やっと、出せることになりました。

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霊界大師 らすかる国王 眞魚として、言えること・・


何だか悲痛なまでに考えたいものがある、
片や船坂弘さんという不死身の日本兵がいた。
片や不死身の特攻兵である佐々木友次もいた。
僕の母方の爺ちゃんはラッパ部隊で
即効打ち殺されるポジションだったが
土壇場で終戦して生き延びたらしい。

ちなみに・・
父方の爺ちゃんは、
明治末期世代なので世代的に招集がかからなかったようだ。

そういった中で、
一つ不謹慎ながらに申し上げれば、
天皇陛下万歳と散っていった国民を後目に
昭和天皇は87歳まで生きている、
戦後の復興や高度成長期やバブル期を見届けてね。

そして、ルーズベルト景気対策に巻き込まれた
日米開戦だったかもしれないが、
日本は壊滅的な敗北をきさなければ、
今の日本の成功も疑わしい節もある。

不謹慎かもしれないが、
本当の意味で日本がアジアをリードできたのも
負け戦の中でも、
西洋支配からインドなどのアジアに戦い方や立ち上がり方を
示したからに他ならないと感じます。

だから、この太平洋戦争では戦果という言葉で表せない
船坂弘さん、佐々木友次さん意外にも
国民全体の生き様や真価という次元の中に
功績がそこらじゅうに埋まっている。
語られなくとも、それが日本を作って来た中で
それらが遺伝子レベルで僕らには解っている。
だって、世代が変わってもそれが我々日本人だからね。

それと最後に、
僕はこういう名前だから、あえて書くが・・
この戦争の世代が、
霊界で好景気を引き寄せて生前の望みを叶えている。
その展開が、地球の21世紀の後半~22世紀頃に転生する。
戦争を魂に刻んだ世代が転生するので、
戦争が無くてもしっかりと受け継いでくれる。

そして、最後に一番解せないことは、
名誉ある人生を生き抜いた佐々木友次が色んな意味で
報われたのではなく、
この話を知り編集して出版した作家さんが16万部も売り上げて
儲けている部分ですね。

本当なら、国で取り上げて資料にし歴史の教科書に載せるべき
事案なのだから。

いつ日かの霊界では明らかに・・

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生活情報・札幌

生活情報・道央


北海道地震でインフラが麻痺した恐さを知った中で、
インフラに関する連絡先等を
今後も記事に載せておきます。
最悪・・皆さんは自力で調べるとは思いますが、念の為に・・
このまま、インフラに関するホームページや連絡先を載せておきます。

電気・ガス・水道・航空会社・列車・道内のバス会社・高速道路に関する
会社のホームページと電話番号を出来るだけ!!まとめました。





でわでわ。




また、宜しくお願いします。
Have a nice day!!









☆★☆★☆☆★☆★☆☆
 
皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 


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最近結構、ここに居ます。笑



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