霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

アコースティック哲学:「人」を考える7:第一の人生の夢by武田邦彦教授・・僕が感じたこと~釈尊だろうが?ナザレのイエスさんだろうが?ムハンマドだろうが? 僕の結論に行き着かない・・


アコースティック哲学:「人」を考える7:第一の人生の夢


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霊界大師真魚

今更ながら先生のお話は、僕には先生の路線では才覚がないからこそ
一種の憧れもあり興味深く拝見している感じでありますね。
それでいて、いつもながら保守的な考え方そのもには及ばずながら僕も共感しているなかで・・
本能だけで生きて来た僕とは対極的な僕の目線には先生の価値観には非常に斬新で真新しく感じていたりします。
ただし、本当の意味で先生の路線に大志を抱いたなら遠い前世もしくは祖先から学問に親しんでいたハズですが、
それよりも大事にしたかった何かの強さから遠い前世もしくは祖先から
今の僕を育むなかで、けして後悔しているとも言えないのですがね。
今のネット時代になりようやく、
自分とは違うジャンルでの秀でた方の生き方や価値観を
比較しやすくなって、
今の僕の言葉が、ここのコメント欄に刻まれている感じではあります。

そういった中で本題に入りますと・・
解りやすい表現として夢や希望と仰るのかもしれませんが?
そこは意外と盲点かもしれません、何故ならば?
人はどうしても解りやすい意味合いや言葉に丸投げしてしまう
本能的な弱さが無意識に常に
反映しやすい意味合いが常識化して無意識に、
核心からは曖昧に逸れた物事が最もらしく置き換わっている自覚を
なかなか持てない物事が少なくはないのではないしょうか?
確かに、そういう風潮も無理もないお話ではあるが?
つまりは、望みなき望みは誰からも
理解されなくても個々では成り立っている意味合いが
見た目の誰からも解りやすい希望や夢や欲求や願望よりも意外と根深いものであると感じることがあります。
実際問題、そこまで深く物事を観察する機会のある僕のような境遇や人生も多いようで多くは無いのかもわかりませんが、
それくらい根深い意味合いに着目しこそすれば、
僕の意見になってくると感じますね。
平たく言えば、一種の平均的な妥協点が論点に置き換わっていることを
前提に誰かの話を聞くことは確かに少ないですからね。
そういった中で、死には夢や希望が無いことはないと感じます。
不謹慎ながら、死んだ方が楽だと願う闘病者からすると死ぬことが夢や希望になりえると思います。
それを認めたがらない風潮としては、
向上心や生産性という解りやすい大義名分に恩恵を受けて来てた結果、
最もらしく依存し偏って来た意味あいの弊害が
良くも悪くもあるのだと感じます。

だからこそ、どう?気丈に振る舞っても、
そういう本質はぬぐえるものではなく・・

話が変わるが?かの有名な一休宗純ですら、どんなに闘病して苦しくとも
当時で87歳と平均寿命の3倍近く生き抜いてなお最後は死にたくはないと言ったそうなので、
どんな知識人でも僕の言う意味を
受け入れきれなかったことを意味します。

つまりは、死にたくない人間ほどに、
美味しいと感じる人生だったことをうかがい知る中で、
そういう人達が国益や集団的保身の常識化の中で
我々の基準になりやすい上で、
本当の核心部分は、「生き様は死に様で、
死に様は生き様(人生)」そのものという漠然とした中に
膨大なプロセスや物語の数が集約された言葉として
意味をなしていると感じます。
つまりは、個々の膨大なプロセスや物語の数のまとめ方こそ、
一種の死という区切り方とも言える中で、
そこを変に気丈に振る舞いながら無理をしている自覚が無いからこそ
死に対する不安をむやむやにすることで、
もっと不安なものにしているのではないでしょうか?
それでいて、何かしらのストレスそのものが
吐き出される時の矛先とフラストレーションもしくは快感が
皆の言う夢や希望の正体は誰かを
納得させたいだけの大義名分と利害だとするならば、
あまりにも、最もらしい中でフタを開けてみると
お粗末過ぎる話にも感じます。
だからこそ言います、
皆の言う欲求や願望の入り乱れた夢や希望を掲げても、
何も自分自身と向き合う事にはならない。

つまり、自分自身の向き合い方そのものが
実は先々を不安を丸投げして逃避するかのような
エゴや仏門などの信仰心だけとは、
限らない事を悟る為の死かどうかは死の価値としては実は非常に大きな魂の意味を持つと、
僕の感性を交えながら考えると、
世論が納得し認めなかったとしても・・そういう個々の結論に結局は返って来ると言えますね。
釈尊だろうが?ナザレのイエスさんだろうが?ムハンマドだろうが?
僕の結論に行き着かない皆様は、良くも悪くも、
僕ほどのバラエティーに富んだ挫折を知らないからこそ?
本当の意味での最期に対する受け入れ方が解らないからこそ、死んでも居ないのに死ぬほど悩みながら
死んでいくことが永遠に繰り返すのかもしれません。
それでいて、それでこそ?
ある意味?この世らしく・・この世の醍醐味ともいえなくもなく、
それでいて、死にたい思いを繰り返してきたに等しい境遇の人から見ると、
平均的な皆さんは、色んな意味で辛くても助け船があり不便ではなく
平和だった事の多かったであろう皆々が受け入れにくい極致を
僕らみたいな皆の言う不幸な境遇ほどに受け入れられやすく往生できる特権みたいなもので
結局は帳尻があるいみ?合っている節も感じられるわけです。

それが平和な境遇を平和としない傍からすると、
自殺や孤独死などの受け入れ難い不幸な可哀想な人に見えたとしても・・
当の当人は安らぎや至福すら感じていても、
なんら不思議ではないわけです。
だからこそ、それらの噛み合いを福利厚生だけに
丸投げするかのような権限や権利は
最もらしく合法でも不合理という実態に、
そういう皆様は最後の最後に直面するわけだと感じます。
そして、死の苦しみは来世で生れ変る為に必要な痛みでもある。

こんなことを華麗なる日曜日に、
書き込んでいる僕は傍からするとネクラかもしれませんが?
僕が僕らしく過ごしているだけの話なので、表向きはあれこれ周りの人に言葉を並べても
僕自身はネットに書き込むことで
心や頭を整理できるリフレッシュや癒しの時間というわけです。
せっかくの連休なので、明日は釣りに行きたいのですがね。





でわでわ。



また、宜しくお願いします。
Have a nice day!!









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皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 


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最近結構、ここに居ます。笑



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