霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

心の屈折や歪みは、文字に残してこそ向き合えるものだあwwww!!!

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なんか・・

めんどくさい

めんどくさい  
 
めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

めんどくさい

良い人ぶるの疲れた

良い人ぶるの疲れた

良い人ぶるの疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

疲れた

バカバカしいわけではないけど、なんだかななんだかな?

うまく行け!!ガンバレ!!しらじらじい・・・

しらじらしい・・・・・・



*物事がうまく行って成功で偉いとかって

馬鹿げてる馬鹿げてる、そんなのアホらしい

アホらしい・・

他に神経使った方が為になる

だって、どこまでいっても結果論が心を満たすわけではない



*人が見たどんな成果であっても望まない結果なら、望んでもしかたがない

それでも、半信半疑でも踏み出さないと見えない世界が待っている。

変われるチャンスは魅力がいっぱいでもある。





*逃げ出したいのはめんどくさいから、めんどくさい想いは何から出来ている?

それは、本意ではない先走った心の間違いによって、

その心の実体の特定し切れていないにもかかわらず

焦りと危機感だけで、意図しない宿題でも大量に背負ったような

心の抱え込みが・・

本心の心を妨げているから、めんどくさい

そして、背負い込めば追い込めばという短絡的な発想の代償が

意外に手強い・・・めんどくさいという心の焦げ付きではないだろうか?



*実際・・意図しない、建前や利害や世間体の為に追い込んでも

その追い込みは果たして、自分への励みになるだろうか?

それを甘えだと片付ける、人は多いが・・

そいう奴ほど心や体に疾患を抱えている奴が多いのは何故だ??

その疾患は、名誉の負傷という名文のそれこそ甘えと休息ではないのか?

だったら、最初から己のボロを端から受け入れろというものではないだろうか?

ダダをこねることも出来ないくらい、心も体も壊すくらいなら

端から、好きなだけこねたらいい


*
厄介なのは・・その焦りと何かが隣接した構図に自分もまた

本意ではない、恩恵からの依存があるから厄介なのだ。



*生きていれば必ず幸せになれる・・

幸せが何かもわからず、何も考えない三大欲求だけに支配されて

生きながらえた所で、どこに幸せなどあるものか・・

結局・・言葉の意味とは裏腹に

一番、皮肉なことは、生きることを明らめた人間に限っての台詞が

生きていれば必ず幸せになれるという不安を紛らわすだけの

おごりであることの方が実際は多いからだ。

なら・・夢も希望もない時点で、端から描ける幸せがないのなら

どう動く前に、どう努力する前に・・結論は決まってることになる。

それは、どうあがいても苦痛しか生まない。

例えその苦痛を引き換えに、お金や物資が満たされても限りある三大欲求しか満たされることなく

満たすほどにその心のギャップと矛盾に溢れて

断片的な努力は苦痛という思考回路だけが固まって何もしない方がマシではないかと

勝手に疲れて失速することになる。酷ければ心や体に疾患も生まれることは言うまでもない




*心が軸となって、習慣が作用することによってカバー出来ない部分が病気となる。

つまり、どうあれ・・自分が選んで作った体に魂は乗っかっているという解釈が

自然だと思う。医学的根拠は知らんが、少なくとも俺の体感的にはそう思う。

もちろん・・・魂上では選んでいても、俗人としての体感に前提が消えるから

体感的には、境遇は選べない・・

そうなることだろう・・

ゆえに・・夢や希望を捨てて恐怖と微かなアメで突き動かさないと

生存できない時代や国があることは言うまでもない。

それは・・不幸を不幸と幸せを幸せと感じない程の過剰で異常なな刺激で

溢れているゆえに、いろいろな意味で鈍感な先人が多くある意味・・めでたいが

物事の代償や幸せの意味が全て恐怖に置き換わりその思考回路が支配すると、まともに心も体も

現実とかみ合わなくなって挙句の果ての終いには、ボケたりもする。

でも・・時代の歯車としては必要ではあるが、、

彼らの価値観を全て真に受けては、かみ合うものもかみ合わなくなる。

変化と共に人はどうあれ生きなければいけないからだ。




*ずい分と飛躍しすぎて・・

自分の今の悩みがわからなくなった。


また・・行き詰った時に考えよう。

________


今日は・・アポ取り用のリストを作成した。

明日から、遅くなったが求職に向けてアポをとろうと思います。

普段は、日記帳にこんな感じで・・

心の歪みを吐き出すのですが、ありのままの自分を表現したいのと

来世の自分に残したいと思って・・

乱心そのものを、ありのまま記事にしました。

迷信じみた良かれの建前からの呵責や人の励みすらも必ずしも

励みとなるとは限らないし、その心の迷いが呪縛となって

抑圧という心のブレーキやブロックになっていることがあります。

その抑圧も時と場合によっては必要ですが・・

これからどう・・生きようか?模索してる時には逆に余計なブレーキやブロックになることが

多かったです。

今の自分に必要なことは、必ずしくも理に適わない迷信からの戸惑いではなく

ありのままの自分と確かな事実と現実を持って、未来を選択することです。

その中で、目的まで届かない事やそんな日があっても良いのです。

ただ・・列車の時刻がわかってるなら、乗り遅れないように急がなければいけませんが

今置かれた状態に、そもそも時刻表はないのです。

自分が過ごした一時が時を刻んでいるのです。

そこに言及する自分もまた、焦っている証拠でもあります。

でも・・良心呵責からアポなしに焦っても

焦ったなりの結果しか憑いてこなかったので・・

二の前を5回も10回も踏むわけにもいかないので、歯がゆい部分も多々あります。

そして、その現実に疲れて投げ出したいこともたくさんあります。

かといって、、それがいけないという呵責自体が余計に

疲れを引き起こしていたりします。

そこを強引に踏み殺して突き進んでも・・

それなりの結果しか伴わなかったことも多々味わいました。

だから、、俺はあえて自分の怠け心もめんどくさがり屋な所もオープンに晒します。

そして・・読み返すのです、何がバカバカしくなってヤケクソになったか?

何が不満で不安で恐くて恐れて己が何に躊躇しているのか?

それを知ってこそ、、少なくとも俺は歩いていけます。

そいう歩き方しか出来ないことの気がつくのに30年もかかってしまったんですが・・

なので、利口なフリを一切しないで・・

ありのままを晒してこそ、俺が俺で居られる生き方が始まったから

今までのやっつけ殺法や、強引に味噌もクソも一緒に躊躇わず踏み越えてきた

生き方が通じなくなったから悩んでるんであって・・

社会情勢のことで悩んだことも実はないのです。

基本・・人が理解できなくとも、自分が肌で知った確かなことは確実に確かなので

どう思われ、どう今後迷走しても・・自分の自分が自分である限り

己のありのままの根源、本質、真意、概念を見極める感受性や6感や魂を信じて行こうと思います。

怠けたい時は正々堂々・・・怠けて生きるし

楽しいことはとことん、、盛り上がって行こうと思ってます。

この人生・・オカルト感性的に6度目の俺としての21世紀なので

今までの5回分の宇宙での21世紀にない、自分を探そうと思います。

でなければ・・辿るだけの茶番になるだけです。

過去宇宙の疑問が今の自分の背景を作り出し織り成しています。

なので、悲鳴もあげるし何度でも投げ出すだろうが・・

喜怒哀楽を持って、受け止めなければ何もわからないのです。

利害を頭で知っても感情をしらなくてはコントロールできないから

植草教授みたいなはみ出しかたも出てきます。

かといって、死を知るために死んでばかり居ては逆になにもわからないです。

なので、そうなる前に喜怒哀楽をもって受け入れて生きていれば・・

死を知るために死なずともその苦痛も傷みも失うことも

死を持って手にできることや代償も知りゆるのです。

ゆえに大方の人生は死んで後悔する前に

命以外の何かを、災害や財産や人間関係・・などを失うことで学べるように出来ているのです。

つまり・・ありのままをありのまま感じただけ桜花すれば良いのです。

料理同様・・・楽しい気持ちい嬉しいは、砂糖やマヨネーズだけなのです。

なにかを加えたり作って美味しい料理なのです。

人生も同じなのです。


何を書こうか忘れたので、思いついたらまた先を書こうと思います。


楽しいものを楽しみ桜花するのは楽しいことだけど、

その辛いだけの時もそうだけど、意識が持ってかれる時の盲目に来世の御前は気がついて欲しい