うん・・・北海道では見かけないタイプの牛だな??
アメリカンな感じがするが・・
てか??・・・また、紫のオーブ君が真ん前に写ってます。
でも、俺にとっては・・心霊写真というよりも、自然現象だと思ってる。笑
もう・・遥か前にというかおそらくは、バカ霊能がいう、現宇宙の範囲の歴史の者ではない
霊能のクセに、現宇宙で自分が人間をやり始めた範囲の歴史しか
同じ・・俗人レベルでしか解釈できない
だったら、能力と引き換えに体が悪くて、そういう生き方しか出来ない者意外は・・
俺みたいに、ありのままに一般人で生きてみろ!!
そう思いますね・・前の宇宙のいつかの時代に死んで
そのまま、再生過程のオーブ本体のまま・・
再び、文明が巡って来て自由に徘徊してる魂です。
まあ・・宇宙が繰り返されてるという、私の魂の記憶と概念は
科学でもオカルトでも、あまり聞かないのですが
紛れも無く・・私が輪廻や色んな魂の状態で焼き付けてきた
情景のお話です。
皆が眠って、目が覚めるまでの期間を俗世では時空という表現しますが
私にとっては、時空ではなく・・
今も未来も、同じ歳月です。
それらの短編的感性と人脳の思考回路がタイムトンネルだのタイムマシンという発想を生むのです。
実際・・そうではなく、ありのままに
同じような、宇宙や地球の歴史が永遠と永久運動のように循環してると考えた方が自然だ思うが・・
だから、血筋の関係ない同一人物も普通に居るし
似るのは同じ過程を辿るから、似るのです。
クローンとか?一卵性双生児とかを除けば・・
なら、それ以外に似るなら・・同じ過程を辿るからということになる。
つまり、どこで?ということになるが・・
それは、私としては言うまでも無く・・
同魂のサイクルが、同じ地上や霊界を共有してると考える方が辻褄が合う
もし、魂がローテンションのように、映画やドラマの俳優の人生のように
役柄が輪廻の中で交互にサイクルしてるならば、そうなるのだが・・
その始まりと終わりもどこかにはどこに居ることになり、その前と後はどこだ?ということになる。
しかし、宇宙には1000億の銀河があり、1銀河には1000億の星々があるとされてる天文学の
結論も交えると、この宇宙には1000億の地球があり・・
千億通りの段階と水準とパタンの地球が宇宙を共有してる可能性がある。
しかし、その始まりと終わりの過程を刻む地球があると同時に
そもそも・・宇宙に出ている魂だけが、魂や人霊や動植物の原形の自然霊ではない。
そして、私のレコード(記憶)にある魂や宇宙の古巣となる、無界で宇宙に出たくない自然霊が
宇宙に出ている魂と同等に居たならば、その空白は宇宙の外の無界での過程までも
魂の再生と構築の循環と共に、サイクルしてることになる。
ただし、体感的に・・同じ時間を共有してると、同じ変化しかお互いに感じ取れない
そして、変化しないとお互いに時を意識が出来ない。
しかし・・その感覚ごと、過去と未来を移動していたらどうなる?
理解できないままでも、その無界の中の宇宙や魂や銀河のサイクルの中に居るとしたら・・
私のレコード(記憶)から整理して、魂と宇宙そのものを想像するに
そういう、発想に行かざる得ない。
あと、よく・・さっきのオーブ君の紫は高級霊といいますが、関係ないです。
各々のお互いの己の思考と行動の具現化の一部であることに
上も下もありませんよね?
霊能者がおどろおどろしく・・語る存在を俺はサラッと話しましたが
それを、食いダネに神様ゴッコしながら、語るもその文明という具現化の一部で
絶対数なのです。
それすらを・・黒子となって、支えてくれてる
運営側の守護霊や人事霊様方に、意識をむけてあげても良いのではないだろうか?
常人は身内を想像したがるが、その身内の人生すら黒子になって支えてる人方が
皆にも憑いてるのに、保護者というか良くも悪くも・・・自虐を描けば自虐の人生だし
楽しいと感じる人生を描けば、良くも悪くもそれを助長してるのです。
不幸は自分で招く意外に起こらないし
不幸も感じ取り方に定義など、法律的破綻や損失であっても
各々の解釈や価値観は別物だし・・
幸運もそれと、同じことが言えるで・・
損得に直結してる、己の感受性と向き合う方が先なハズなのに
それを、苦痛に思いめんどくさがり
そのお膳立てされたものを、自分に抱き込んで楽しすぎて
自分と現実を踏み外して、痛みを感じて悟ることになる。
でも、それが悪いとは言えないのです。失敗も権利という意味では
ゆえに各々のバランスに、大まかな善悪や損得などザルに等しいのです。
なので、はたから見た不幸も幸運など自分に当てはまることの方が
心の根幹になるほどにオリジナルの部分が多くなる物だと思うが
それだけ・・物事を理解しても
もちろん・・それを元にあの世の文明界で2度目の人生を営めば相応の流れが
来世に転生されますが、そこに感受性が伴わなければ
誰がどう羨ましがり、ぎゃくに・・嫌われても、ただの茶番ほどの不幸は
俺にとってはないのです。
ただし、輪廻を挟むとどうしても・・
過去世の記憶や経験が98%くらい消失した中で
感受性だけが生まれた瞬間から復元されて、
新たな人生の中で、2度目の人生で生まれる前に営んだ筋書きがベースに
人生の営みの中で消失したものの呼び戻しを本能的にやって営んでます。
不幸も幸運もその一過性に過ぎないのです。
しかも・・一過性の人生で次がないなどもないです。
自分が拒まないかぎりは、後悔も憤慨もその思考と経験が
そうやって、転生の中でどこまでも拾い集めることができます。
だから、出尽くした・・美輪は、死ぬ前から
来世への転生を拒んでます。
それは、やりつくしすぎて・・発想が消えたからです。
だから、恐れまかせに浄化しつくすと逆に
自らのテーマを自ら消して、生きる理由を失った時に
転生が止まるのであって、どんなことしからという秩序を守る為の
戒めと、実際の霊界は別物なのです。
江原も美輪も、そんな肝心なことを言わないというか
裏の連中に、表現を制約されてるのか?
それでも、一線で活躍してる彼らを常人は俺の書き込みや言葉よりも信じるでしょうが
しかも・・同じ経験値の思考レベルならなおさらですが、、
理解できる人だけでも、心や頭の隅に置いておいたら、、
何かしらの、とくにあの世では役に立ちます。
もちろん・・それを応用すれば、それも霊界からの俺との関りいえばそれまでですが、、
結果や優劣よりも、本質や根幹のプロセス主義として、本当の結果を手にできます。
後悔もなく・・
ただ・・それが一番幸せとは、俺は思えないので難しいところですが
何故なら、結果主義に偏ると失敗を恐れるようになります。
失敗しないようにが、自分の心を締め付けてることに気がつかないし
成長しない魂に、自分の良心が焦って・・
精神病にもなりますし、、
結局は・・誰の言葉よりも
自分の心の声に耳を傾けて、自分を造る方が・・
いってしまえば・・自分らしくという結論の域はでないので
結果論で是非は問いかねる難しさがあります。
それでも、どうあれ絶対数の一部といえばそれまででもあるが、、
仕事とかの実務には、相反した要素なので、軽視されるが
競争と平和が逆行するように、人生の根幹から相反した対価が
職種によりけりですが、報酬ならば
別けて考えなくてはいけない
ゆえに・・終いには、、生命力との営みとしかいえなくなるものですが
それで、良いとおもいます。