霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

人生に疲れてる方々へ・・2

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音楽♪

monkey majik - アイシテル


リアルで苦悩する同士の皆様、ああ~でもない
こうでもない~と耳元や脳裏でささやく、人生縁のある
たくさんの御霊方、色々な意味でお疲れ様です。笑
それでも私は現実とは一線を置いて話しています。
「私の話は非物理カテのお話なので、理解を求めます。」
そんな中でオカルト話に華を咲かせたいと思います。
ただし、悪魔の証明=絶対肯定の物的証拠でもありません。
そして・・
物理世界の現実で物的証拠のないものをあるとは言い切れません。
分別ある理解をお願いします。



たくさんの皆様と仲良くさせてもらってると・・

時より、こんな人が現れます。

「死にたい」「ここの書き込みが遺書になるかもしれない」

普通においおい!?マジかよって・・なります。


でも・・元霊能者としての、裏の感性部分として、死というもを見たなら

死もまた終わりではないのです。

あくまでも、物理世界の中で生きてる世界しかしらない人間の台詞に過ぎません。


少し・・引くだろう?そんなお話をすれば

昔の暦で十二支の組み合わせで120だったか?60通り?の歳月を昔の人は表現してました。

ちょいと・・昔

細木数子がその組み合わせで60に達したら還暦という

その旧暦から来てるとテレビで言ってました。

そして、人は120年の人生であることを昔の人は考えていたといっていました。

それを俺の視点で見たなら、そうではないのです。

俺ほど、アカシックレコードが発達してないにしろ

5感・6感で動物的な感性で人生を生きることが当たり前だった時代に

俺のような人間が居たことを意味してます。

何がいいたいかというと・・

平均寿命が30~50年の時代に誰が人生120年という目測が立つでしょうか?

そう考えるのは自然なこと・・

つまりだ・・人生を終えて、宇宙の霊界に帰り

霊界の1段階目が現世の未来文明でその暮らしが時間差で転生されるのが

大まかな輪廻の構図なんですが・・

もちろん、生き急ぐあまりに素通りする人もいます。

そんな・・それらの輪廻の選択と個性の総和の絶対数を統括してるのが絶対数内輪廻ブックであり

霊界の1段階で来世の暮らしを営み転生されるブックも絶対数の一部と考えると自然です。

そういった中で、話を戻すと・・

その構図に気がついた人物が暦を作った人間ならば・・

還暦は死を意味します。

その残りの半分は霊界での来世に転生される・・

霊界での2度目の人生があることを伝えたかったのではないだろうか?

能力者としての俺が見たならそういう解釈になります。


そういった中で・・この世の現世の終わりは終わりではない

どこが終わりか?そういわれても、レコードの主から見ると

宇宙も地球も再生と消滅を永遠と繰り返しながら循環し

その環境の中で我々の魂も循環し、人間としてそういう好奇心が芽生えた時だけ

過去と未来を志向するのであって

空間の変化、変化で区切るとしか言えないのです。

あくまでも、終わりとは終わりを感じることしかできないのです。

逆に・・始まりもそうです。

死んで、始まる営みもあれば・・

霊界の2段階目の再生空間での再構築が始まりとも言えるし

霊界の3段階目の誕生界こそが本当の人生のある意味・・始まりともいえ

あくまでも・・物理界では生まれて思考出来る年になり

振り返られる存在の基準が生誕であることに過ぎない

つまり、終わりも始まりも・・感じることしか出来ないのである。

その中で・・物事には基準がなければ、思考も行動もベースがなくなるので

不便極まりないので、そういう常識という目安が大まかに構築されているというのが

真相部分ではあります。




だから・・最初の話に戻ると

死んでも死んでも、その思考そのものが変わらなければ

永遠と同じ行動パタンしか生まないということである。

何回死んで生まれ変わっても、同じような人生を自ら選択し

死にたくなる人生を選ぶことになるのです。

しかし・・生まれてきた以上、いつかは死にます。

例えば・・永遠の命!?

宇宙の膨張に限りがあることが物理学でも証明されてるのに

地球から出なくとも高度1万mですら裸では生きられない我々が

どうやって・・永遠に絶対0度(-274℃)~300℃の宇宙空間で

酸素もない空間で永遠規模で適用できるだろうか?

宇宙服も劣化するだろうし・・

それ以前に人間の肉体が無重力だと骨の密度もスカスカになり

筋力も自発呼吸ができないくらいの退化が予想されます。


1000000000000000000000歩譲ってクリアー出来たとしましょう。

でも・・宇宙が消滅して再生する時にビックバングの爆発する温度が1兆度なんです。

一番軽い原子のリンなども原形を保てない気体状態になる空間で

地球の恩恵をかじることしか出来ない科学の分際で攻略できますか?

だから、霊体とはそういう意味で宇宙空間には適応した状態なのです。

ただ・・ビックバングだと霊体でも裸では、自然霊に戻るくらい

人霊としての姿や記憶の99%は感受性を残して消失するから

本当の霊質型UFOでコーティングされた乗り物の中でビックバングに入り

ビックバングという爆弾そのものが宇宙のタマゴなので、その一兆度のタマゴの中に入ることが

出来て、次の地球の文明界を繋いで行くことが出来るのです。


霊が?死が?そんなものは、俺にとっては脅しになりません。

俺が霊体だった時の事を話せる魂においては、全て知る世界なので

適応の仕方も知ってます。なのに何を恐れるというのか?ということです。




それ以前に・・ハッキリ言います。

死にたいという人間は、眠ったら目が覚めないくらい眠り続けたいくらい

生きることに疲れているのです。

意図的に死んでもそれを打開する術はないのです。

それよりも・・思考そのものを変えないと半永遠とそうなるわけです。

そして・・人生って本当によく出来ていて

苦痛や痛みや悲しみが、その悩みの直接のヒントそのものなんです。

なのに・・間違っているから苦しい目に合うのに

間違った選択の中で、正そうとするからなおさらの逆境を生んでドツボなわけです。

もっと言えば・・そういう人達は、

例えるなら、引き算でしか解けない問題を足し算で解けると錯覚してることに盲目な訳なのです。

それを・・人生の重要な選択肢の規模や次元でも平気で選んでることに鈍感だから

自己責任なのに、関係ない所に責任転換と言い訳と正当化をむりやりこじつけて・・

もっと言えば・・例えば

自ら熱湯風呂に入り・・冷たいと言い聞かせも、自ら大火傷しておいて

熱湯風呂を作った人間の責任にしたがる、最低なものだったりします。

モンスターペアレント・・もまた、錯覚に気がつかないで

エラーを連発しても死ぬまで?死んでも間違いだと認めないタイプです。

自分の落ち度を見つめ直すことが出来ない人格形成そのものが問題なのに

自分ではなく他人や他者を平気で巻き込んで無効な権利ばかりを主張しつづけるものです。

死にたくなるなるほど病気になって苦しいとは、そいう背後関係があっての因果関係なのに

まったく自分の懐の不徳にはメスを入れたがりません。


正しいなら、苦しむことも後悔もないはずです。


正しいなら、苦しいのではなく快感なはずです。

正しいなら、出来ることに最善を求めるから失敗しても悔いもネチネチ言い続けるほどの

悔いも残らないと思います。それよりもどう転んでも、どう向き合うかを常に

その部分と向き合えるハズです。


そういう観点から・・死にたいと書き込まれても

俺は、相応の背後関係を整理して説明しても

そんなのは信じられないとか?オマエがやったことをオマエ自身が認めたくない上に

苦しいから助けてと嘆くwww次元の人間までは相手は出来ません・・さすがに

もはや万引きしておいて、取り押さえた万引きGメンや警察が悪いwwと

言いかねないレベルの人間に対しては


もはや・・どんな顛末もご自由にとしかいえません。


そして・・一番、勘にさわるのが

死にたい?とか?死ぬとか書いといて・・

勝手にどうぞと、言えば

酷い人だと、消す人間て矛盾してません?

ようするに・・死ぬことはいけないとわかっていて

死にたいと書くから、ご自由にと書かれることが不快なわけ

なら・・端から死にたいとか?簡単に俺の所に書き込むなw!!

率直にはそう、思うわけです。

実際・・自殺が死刑という法律はありません。

魂の領域においては、誤った死もまた・・

極論ですが・・それも含めて失敗もまた権利なのです。

だから、多様で多彩なあるがままの人生や世界を桜花出来るように

根本的に人生は出来ているのです。






でわ・・最後にこれは、ある方の記事に書いた

子供の頃の苦い経験話です。


命とは何か・・


これ・・子供の頃の実話なんですが

小3の頃です、忘れもしない

友達がダンボールの猫を拾って来て

何故か?頼めるのは俺しか居ないと言ってきて

断れない性格だった俺はダンボールの猫を親に相談すると

当時は既に猫を飼っていて、ダメだと言われ

捨ててきなさいと言われたので、友達にそういうと

今度は泣きつきながら、なんとかしてやってくれと泣き付いて

しばらく・・俺ら子供達だけで家の裏で飼う事したんです。

確かに乳飲み子の子猫で初めから弱りぎみだったのだが

毛布とミルクとニボシを箱に入れてあげました。

しかし・・2匹いた一匹は脱走したようだが

もう一匹の初めから弱っていた子が4日後に死にました。

それが家の裏だったこともあって、親にバレました。

友達の親にも親が電話して、俺も罪悪感で涙が枯れるくらい泣き

夢の中まで、死んだ猫が出てくる夢が5日も続いたくらいでした。

そして、よりによって

夜に親同士で責任もって子供達で埋葬させることになり

夜更けに・・死んだ子猫の入ったダンボールを

ゴロゴロその子猫が転がる度に心臓がバクバクしながら

泣きながら、友達と友達の親と合流して・・

近くの墓場の開いてる隅に穴を掘って埋葬しました。

だから・・今を振り返っても、そういうことって

本当に難しいと思います。

まず・・何故?ダンボールの猫を俺に友達は預けようとしたのか?

そのダンボールの主も気になります。

可愛いだけでは、済まされない命の重さを

この時に深い心の傷となって思い知らされました。

悪気もなく、助けてやりたい!!できれば飼ってあげたい!!

でなければ飼い主を探してやりたい!!

その思いがあっても、こういう顛末になることもあることを

知っていただけけたら幸いです。