霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

「人生に疲れた人へ」 私は霊能者かもしれんが、心理学者ではないし、一人の生身の人間だ・・ けど、自分なりには生きていける




私は霊能者かもしれんが、心理学者ではないし、
一人の生身の人間だ・・
けど、自分なりには生きていける

しかし、ながら・・
この動画を見ると、我に帰って・・
また、次のことを考えられるような気がします。



イメージ 1


ただ・・この動画の元となったこの先生の事は、
私は、深くは知らない・・汗w


タイゾー先生から
 生きることに疲れた貴方へ・・・。



 生きることに疲れた人は、
 真面目な人である。
 努力してきた人である。

 努力している時に、
 まさか自分がこのようになってしまうとは、
 予想もしなかった。

 自分の努力は、
 いつか報われると思っていた。
 皆から賞賛されると思っていた。

 まさか自分の人生が、こんな形で行き詰まるとは
 予想していなかった。

 でも、今、生きることに疲れて、
 何もする気にならない。

 幼児の頃から献身を求められた人が、
 どうして大人になっても
 エネルギッシュでいられようか。

 そんなことは無理に決まっている。

 せっかく生まれてきたのに、侮辱感を
 味わうだけで一生を終える人は多い

 周囲にとって都合のよいときのみ、
 「良い子」として受け入れられた

 人生の初期において
 周囲の自分に対する期待をかなえることばかりに
 エネルギーをつかい、
 生きることに消耗してしまった。

 高齢者と若者とが
 男と女とが
 文化の違う国に属している人が、

 相互に理解しあうのは難しい。
 

 しかしそれよりもはるかに難しいのが、


 心理的に成長した人と、
 それができなかった人とが、
 
 相互に理解しあうことである。

 よくいじめられた子供に
 「言い返せばいいじゃないか」
 と言う人がいるが、

 それは言い返した時の恐怖を
 体験していない人が言う

 戲言である。

 そもそも権威主義的家庭に育てば
 「言い返す」などという文化は無い

 いつも気持ちは萎縮している。
 いつも怯えている。

 「丸太小屋から大統領へ」という
 サクセスストーリーが好んで語られる。

 外側だけ見る人には感動的であろうが、
 それは奇跡でも驚嘆でもない。

 丸太小屋に生まれても
 「母なるもの」を与えられていれば、
 生きることは楽しいことだからである。

 愛されない子供として宮殿に
 生まれるよりもはるかに幸せである。

 いや、これは比較できない。
 あまりにも違いが大きすぎる。

 「丸太小屋」が天国だとすれば、
 「宮殿」は地獄である。

 しかし人々は「丸太小屋」を誉める。
 こちらのタイプを賞賛する。
 眼に見えるからである。

 人生の不幸平とは、
 この不公平である。

 無視されて育ったり、感謝を要求されて育った人が、
 真の自分を発展させ、
 素直に成長していくことは

 至難のわざである。

 人生に疲れた人は、自分が生まれ育った環境を考えれば、
 「自分はすごい」と思っていいのである。
 事実すごい。
 誰にも助けてもらえないで、
 独りでここまで生きてきた。

 だれがここまでできるか。

 不幸を受け入れる気になると
 何をしたら最もいいか突然見えてくる。

 「私(僕)の人生は幸い」と認めることである。
 「なんで私(僕)だけ」と不満になれば、
 より幸い人生になる。

 人生が一度しかないと思ったら、
 自分を無理に欺いて、
 人に迎合するだろうか。

 もし本気でそう思ったら
 生き方が変わってくる。

      「人生は一度しかない。

              本当に一回なんだよ。」

その②



自分を守るために迎合する。

あるいは人に優越しようとする。

 優越できないと自暴自棄になる。

 努力しなくなる。
真面目なのだけれども“実際の自分”

以上のことをしようとするから

結局は実りのない人生になる。

 幸せを感じられるかどうかは

 とりまく状況よりも

心にそれを感じる能力があるかどうかである。

 生きることに疲れた人は

 あまりにも長い間ストレスに耐えて頑張っているうちに

喜びも楽しみも誇りも何も感じられなくなってしまった。

 嫌われたくないということで

何と多くのものを失っているだろうか?

 私たちは日々失っている代価の高さに気づいていない。


 心理的に健康な人は
『過去を嘆いても変わらない』
 『今を生きよ』と言う。



心理的に健康な人は
今が幸せだから過去から抜け出せる。

 心理的に病んでいる人は
今が不幸だからどうしても過去から抜け出せない。

その違いを考えないで
過去をこだわる人を責めるのは酷である。


 前に進めない人を責めるのは酷である。
 愛に恵まれた人が
愛に恵まれない人を裁くことが許されるだろうか?


 幸福も不幸も福利で増えていく。
いったん不幸になると
坂道を転がるようにどんどん不幸になっていく。

 人生を不幸というラインからスタートする人は
 まずその『事の重大さ』を受け入れることである。
 事の大きさに気がついてないと
『努力すればなんとかなる』とか
『頑張れば人生は開ける』とか
甘えた人生観になり、すぐに躓く。



現在の学問から証明すれば
抑制型の脳を持ったものが
愛のない環境で成長したら、絶対に幸せになれない。
 生まれてから死ぬまで間違えなく
 ずーっと不幸である。
しかし、それでも尚
 『幸せになる決断』をしなければならない。
 淋しい決断である。
 孤独を超えた孤独な決断である。
 『決断すること』とは『捨てる』ということ。



『あの人とは上手くいかなくなってもいい』と覚悟する。
その『捨てる』覚悟がなければ決断はできない。


その③

【人生に疲れた人へ 其の参】
生きることに疲れたあなたは、いま休んでよい。
周囲の人に迷惑をかけても、とにかく休もう。

いまあなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っている時には、あなたから搾取する人である。

そんな人と関係が切れて良かったと思うことが、あなたのためになる。

「大変なことが起きた」という時は、たいてい人間関係が原因である。
事柄そのものよりも、その根底にある人間関係がやりきれない。

「もう生きてはいけない」とは、
今の人間関係で生きていけないということである。
友人を変え、恋人を変え、つき合う人を変えれば生きていける。
家族も同じである。

今あなたが生きていけないほど苦しいなら、
今の人間関係を変えることである。

何度自分はこの人生の辛さに耐えたのか、
そう思うと悲しさで崩れ落ちそうになる。
愛されて育っていない人は、
辛さに耐える能力がないのに
普通の人以上に負担の多い人生になる。

能力が無いのに頑張るだけで生きてきた。
だから「生まれてから辛いことばっかりだったなー」と思うときに、
悲しさがこみあげてくる。

人が自信を失うのは、
人間は誰でも同じ環境の中で成長してきたと思うからである。
その前提で他人と自分を比較して自信を失う。
人間は同じ環境に生まれているのではない。

母親との関係で学ぶ最も大切なことは、
優れているから愛されているのではない、
自分は自分だから母親に愛されているという感覚である。

人から愛されるためには優れている必要はないと感じる。
その感覚があれば対人恐怖症にはならない。


親に従順を強いられ生きてくれば、
人間関係のトラブルに対処できないのは当たり前である。
小さい頃に自分は無力な人間であることをしっかり学習してしまった。

耐えること以外、人間関係のトラブルに対処する方法を知らなかった。
自信もなければ知恵もない。

それなのに、ここまで死なずに生きてこれた。
これは凄いことなのである。
よくぞ今まで耐えて生きてきた。
絶賛に値することである。

よくここまで犯罪も犯さず、自殺もしないで頑張って生き延びてきた。
あなたと同じ環境に生まれて、
心の傷を癒すために犯罪を犯した人はたくさんいる。

今こうして疲れて生きていることは、それだけで立派なことなのである。




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皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 
 
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