霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

Dear・・来世の自分へ、、伝言です。 4

どうしよ・・・

こうもわかってしまうと・・

保身と物足りなさと確実な愛と

知らない方がプロセスを理解し楽しめるから、違う選択を描くか?

迷うな・・

あの人は、わからないだろうし・・

どうせ、忘れ去られる人を想うよりも・・

無駄に愛し、無駄に信じるくらいなら・・

何もかも白紙に考えた方が、いいのでは?


あの時の周期の21世紀のように、あの出来事で気がつくとは限らない

もしかしたら、起こらないで普通に忘れ去られるかもしれない・・


その中で、自分の望みと本気で描きたい生き方を模索する方が・・

5週目にふさわしいのでは?

あえて、自分も忘れるために・・

あの世では触れなければ、来世は転写はされないから、


どうせ記憶にも残らない、再会しても少し気になるくらいで

その域をでなくなるだろう。

その上で、来世の人生を描きなおした方が健全か?

自分の知る意味を理解できない人を信じることや

望むことがあるべき姿なのか?

結果だけ愛があっても、俺自身が納得できなければ

茶番になって意味がない。

もっと自由に描いてもいいのでは?

でも、大学と江原さん、知恵袋の住人との繋がりは

外せない、それと、歴代空海同士の再会は俺が俺である証だから

外せない、私生活上では・・4週の中ではあの人が最良だったが

ホンとは、もっと成長した自分にふさわしい相手が、探せば見つかるかもしれない

あの3週目の時は、動機が不十分だったから・・

心にわだかまりを残して、振り切った感があったけど・・

今回は違うかもしれない。

これだけ、見えているということは

その先を見ろということなら、それを象徴するあの人を凌駕する

人徳や人間性や人間らしさをもった、一心同体くらいの相手が


成長した自分にふさわしく

心の底から理解しあえる究極の相手がいるかもしれない


そして、小学生~中学生にかけて異性の縁がこの俺の過酷な現世の歪の反動で

かなり、濃くなる。災厄・・発展しなくとも友達で繋がって、本命が育つ方が

実りは大きいかもしれない。もしくは、高校は工業高校や空手や学業に

集中しないと、関東方面の工業大学や土木技術系の公務員にはなれない

そんな、自分を受け入れてくれる自分の好みのタイプが見つかれば

仲良くした方がいい、もし縁がなくても親友になれると思う。

苦悩を分かち合えるなら、


でも、、道を踏み外しても、修正を試みてダメでも・・元々、失うものはないハズだ。

来世も一人であっても、御前が俺が俺でいられるなら

レコードの主で居られるなら、悔いは元々ないハズだ。

ただ・・チョビ(猫)とは再会できないかもしれないが・・


少し・・淋しいが、、

記憶が消えたどこかの時代に再会しても、それはそれで新鮮でいい




そしてだ、後悔とはなにか?

あの時は、本当にあの人との隙間を引きずったまま

理想を心にもなく無理やり描いたから生まれた心の隙間なのだろうか?

そうではなく、自分を信じきれなかった行動の因果関係に

過ぎないのであって、あの人じたいはまったく関係がないとしたら?

だとしたなら、自分を信じきれた結果や因果がかならずしも

あの人との、営みイコールとは限らないということか?

なら、なおさら白紙に考えを戻すべきだろう。

5週目は無知にそいう因果になったあの頃とは違う

つまり、どこまでもレコードや俺自身を信じ切れるかどうか?

そうではないか?


そして、リセットは繰り返しているのに・・

消えた感覚が残ってる周期もある。

20数週の間の宇宙や無界の魂のリセットは

次の課題を残した状態で、自然霊や単細胞からもかすかに

レコードが繋がっているが、空海の後の宇宙末期後の無界リセットでは

白人、日本人・・・・・・15回以上先の宇宙の21世紀の俺まで

レコードを整理できない。

真実の核心に迫るほどに、歯車の規模が莫大な次元へと飛躍しているようだ。

関係ないが・・俗人はそれゆえに真実や現実や事実といった核心を

掘り下げるほどに煙たがるのかもしれない。

それと同時に、俺のようにならない防波堤にもなっているとしたら?

それゆえに、知らない方がいいこともあるという感性も培われる

わけなのか?

少し、それたが・・

御前が御前らしい動機の元に前を向かなければ

後悔することになることは確かだ、でも・・

レコードの結果論をなぞっても、プロセスという核心部分の一番魂(レコード)の養分となる

感性を補給するには

不十分だ、物理世界では錯覚するが、結果の賛否や損得のみでは良心が潤うだけで

何も勉強にならない、魂(レコード(心))の栄養になりきれない。

例えるなら、人生のプロセスが食材なら・・

結果やサプライズは仕上げのスパイスに過ぎない

でも、因果を知る上で結果を求めるのは最良だが

生きる幸せや喜びを認識するためには必要だが

けして、省略した小手先の喜びや幸せや高揚感のみを正当化するな。

さらに例えるなら、畑を耕し種をまき・・

災害や不作を乗り越えた先の豊作にこそ本当の幸せや喜びがある。

でも、その過程は過酷なものだ・・

それゆえに、苦労を拒み幸せや喜びという脳内モルヒネばかりを望みたがる

生き方を正当化し美談にする人間の方が必然として多い

それが、ある種の集団心理を生み出している。

世間の言う、道徳はその範囲を出ない

もちろん、その範囲にももちろん意味はある。

一つは、物事の盲点とは存在が現れない限り・・

道徳や物事は存在を誰しも理解できない

そして、誰かが気がつき、災厄それが原因で世の中の暮らしが壊れかけた時

緩んだ道徳をしめ直す。きっかけは、ボーラクやインフレ、デフレ、自然災害、紛争など

そこまでは、特定できないが・・

人生規模でも、借金、親族間、恋愛、喧嘩、憎しみ・・・などで体感はできる。

そして、誰かが知ることで循環することで

細分化された個々も、盲点を察するきっかけにもなる。

文明が現宇宙で続く限りは続く、構図の一部である。


読む人は、話がそれて無駄に感じるだろうが・・

来世の御前には必要な文面である。

御前に届けたい

そして、その、遠まわしの背景やプロセスが・・

それらが、わからなければ・・・

理解しようとしないなら・・

堕落を正当化した、小手先の脳内モルヒネ主義になってしまう。

ただ、、堕落が悪いとも言い切れない

同じ人間だ、疲れたら省略を望むのも必然・・

問題は、どこまでも向き合い方なのだ

大事なのは、疲れや堕落を受け入れること

休みたいなら休めばいい、

それを、ごまかすように・・

正当化や美談にすり替え、自分の心をごまかして

自分や周りの人間にもごまかすことが問題で

それが、うまくいくほどに・・

魂は本当の堕落を招き、小手先の人間になり・・

物事の道理やプロセスや背景が抜けていく

度が過ぎれば、体に毒になることすらも容認するようになり

対人でも、自分を出し抜く相手を見抜けずに入り込んでくる。

私生活がボロボロになる、ボロボロが悪いわけでもない

問題は、物事の道理が抜けるほどに自分が誰か?

自分の存在の意味がどんどんわからなくなり、

終いには、何10000回死んでも生まれ変わっても

その間の宇宙を地球の崩壊後に・・さまようことになるかもしれない。

そして・・意識の届かない所で次の宇宙では

人間以下の生物を営んでいるものだ。

俺や御前や現空海や同ループの同魂はこれらを

意識を覚醒させた状態で、体感し続けたから

昨日のように話せることを忘れないでくれ

そして、空海ループを抜けた先にどこで

宇宙や無界のプロセスを体感し、同じことを繰り返さない方法こそが

我々の課題でもある。

皆、意識が飛んだ過去宇宙で・・人間以外の生物を営んでいるので

今の地球の人間以外の生物も同様だろう。

だから、物理世界で人間になった時だけ・・

人間以下にはなりえないとか?好きに言っているに過ぎないのであって

我々は、そこに流されてはこのレコードが無駄になる。

そして、時間は目安であって・・

大事なのは、なにを込めて向き合ったか?向き合うかが問題である。

そして、一々レコードを確かめるために人知れず

宇宙に身投げ・・そうならないように考え続けて

体感し続けることだ。

どの宇宙もどの過程の空海はいるから、地球の最期に身投げしても

空海はいるではないか?そのくり返しだった。

そして、時間とは認識できた時からしか時を理解できない

理解できない時間は、常人は時や過程として理解はできない。



そして、最後に・・


魂の堕落した人間は世間的には

異常に結果やお金には恵まれている人が多い

背景はそれ相応にもちろんあるが、察するのは簡単なことだ

そして、人を背景の一部ととしか見なくなる。

まあ、、そこから落ちて学んで・・

這い上がって忘れての道引きは人生の中か?輪廻越しにあるが・・

でも、、魂の引き締めにはいる人生は・・

過酷な人生を選んでノウハウやプロセスや道理を必死で

拾い集めているものだ。

それが、訳ありのホームレスであっても逆に変ではない

方法はいくらでもあるので、小手先の姿や履歴では

到底計れるものでもないが・・





来世の御前へ・・

いつもは自然体であれ

そして、御前の中に潜むアカシックレコード

常に・・龍が如くあれ


_______________


初代には概念を生み出した基盤や凄みがある。

正確にいえば、次世代の能力やスキルは吸収した人間が

業務レベルの能力までは初代を超えることは出来ても、

概念を生み出した、人間を本当に超えられないのは

概念を生み出した名声である。

人に知られることが俗世では大きな意味を持つものだ・・

根本的に、根の深いほどに張った人脈こそが大きな歯車を動かすことが出来るからだ

なので、吸収した能力による能力が上回っても、根の深さはどうあがいても

及ぶわけがない、枝を広げても葉をつけても・・

根が浅ければ支えきれなくなるものだ。

なので、古株を大事に出来ることは重大だ一概に嘘ではない

初代よりも、初代の同期を大事にし・・

そして、自らが新たな概念を生み出し凌駕する仕組みを作り上げなくては

先細りになるわけだ、その意味を・・根を知らず養分(お金)だけがあると

大きな錯覚をするものだ。

御社の同属系の強みでも弱みでもあるということ、

それは、魂の上でも同じこと・・

来世の俺には、今の俺以上にレコードの何かの基盤を広げて開拓して

先細りにならないように、根を張らなくてはいけない。


閉じる コメント(7)

そして、最後にの後が特に同意できた。この文章全体を理解上でいくつかのポイントの言葉の定義が分かっていない私には漠然しか言いたい事が分からなかった。形而上の世界観、魂レベルの考えではこのように考えてもおかしくはないとしか理解できなかった。他のブログの文章を読む必要があるようです。面白い考えですね。削除
2011/12/23(金) 午後 5:48 ]返信する
妖さんのブログで、奇妙な俺の次元のお話してもあれなので・・

少し、お話して寝ます。笑


グダグダな文章ですみません。泣

どうも、言葉にしにくい感覚や感情を文字にすると

そうなるもので、俺には国語力が必要かもしれません。

でも、同じ感性の未来の自分自身にはイメージが伝わると信じています。笑

誰かが読むことを前提に書くと、ありきたりの言葉で文面を整えながら書くと

伝えたい、心のグダグダな部分や心のひだまでを伝えきれず

逆に俺が俺だと気がつきにくいかもしれないので、

災厄・・来世の自分には届くように包み隠さず、下手でも考えや思いを綴った次第です。


そうですね・・・

空海とは、よく出来た名前だと今更ながら思います。笑

空間を意味する名前はレコードが関係してるかもしれません。

ちなみに、リアルの俺の名前も海山丘田畑などに由来する・・

同じく空間を意味する苗字です。

そして、下は誠です。笑削除
客観的に自分の名をみると、空間の真実という意味合いなのです。

つけた親は、親しい霊能者が無作為に選んだ名前なんですが・・

親はわかりやすい名前だから、選んでくれた名前にしたと言うが、、

魂上の霊界との繋がりの中では、空海を意味していたようです。

そして、妙なことに・・

自分自体は両親とも浄土真宗なんですが・・

何故か?お婆さんは仏壇の横に空海を祭ってました。

物心ついたころから、どこかで・・という妙な感覚の中で

無意識に手を合わせていました。

そして、難破して死に掛かって陸に上がり

誰かに身分を明かす自分や子供ながら・・

教えたいのは仏教ではなく、暮らしに役立つ読み書きや学問だと思う

感情や情景が時より過ぎってました。

その時から俺は誰だ?なんて思ってました。削除
身近な過去世とも違う情景なもので、

そして、大人になり知人と偶然・・

空海の話になりました。

俺は歴史が嫌いなので知りません

そして、難破した話やいきさつを知人が話し出すと

幼いころの脳裏の情景と重なること。

過去世を辿る上で徳島に一人旅した時も、空海の地蔵時で熱中症になりかけたところを助けられた。

そして、行者の格好していないのに何人かが、俺に御大師さんが憑いてるといいだしたこと

俺に御前は空海だと気がつかせたいとしか思えないことも多かった。

でも、現宇宙では空海の時代は・・

鍛冶職人として、近い過去世まで4世も添い遂げた妻と出会い

普通に暮らしてます。

そして、現世で覚醒したアカシックレコードによって掘り下げると

過去宇宙の自分の姿であり、来宇宙での自分の姿であり

過去世や来世という次元を飛躍した次元に答えがありました。削除
そして、あの世が21世紀現世頃に・・

あの世の仕組みや俗世への転写を教えたのも・・

空海いらい輪廻を休んでる空海自身でした。

やはり、同じ次元のことを感じるというのは同魂であるからか?

過去や未来の俺同士という意味を伝えたかったのか?

そんな、過去の霊界での経緯もあります。

自分は近い前世まで、文字を読み書き出来なかった時代を生きていた

ので、全て感応(念)でのやりとりなんですが・・

そんな中で、あの世での再会を密かに楽しみにしてます。削除
結構な長文になりました。

すみません・・

ちなみに、自分を知るということはいきなり・・

霊界や過去世を見るよりも、

普通の方は、人生そのものが過去世の縮図であり

意識や記憶が途切れていても自ら選択した道のりであることも

確かなので、時期は特定できなくとも・・

どういう過程で今にいたるかの痕跡やイメージや感性は

感覚としてのみ意外に残ってます。

つまり、記憶が薄れても・・

受けた思いや感覚だけは輪廻越しでも引き継がれている

ことが大半です。

でも、物理世界では物理的痕跡や記録が一致しないと事実という

認識はなされません。

でも、その先は・・見覚えのない

感性だけが残っていて、それが人によっては

生まれ持った才能といわれたりするものです。

実際は、経験値の大きさが能力を決めているのです。

でも、その生まれる前の繋がりは物理世界では

触れることができないので、生まれ持ったという表現になります。

長文失礼・・

おやすみなさいzz削除