霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

世界を終わらせていたかもしれない10の科学実験・・大気圏核実験とチェルノブイリ原発事故 「これらを、僕が霊界に戻り次第 僕が居なかった地球の流れの事の次第を 明らかにしてください。」


世界を終わらせていたかもしれない10の科学実験

イメージ 1


ロシア、コーラ半島のボーリング実験
   1970年に開始された旧ソ連の科学実験は、地球の地殻をできるだけ深く掘ろうとするものだった。コーラ半島にあるせん孔は1994年までに地殻の12kmの深さに達した。掘削中にモグラ男(もしくは地底人)に遭遇することはなかったものの、地殻に深い穴を掘ることは、同年に放映されたDr.フ―の映画“インフェルノ(地獄)”で描かれたような コントロール不能地殻変動地震)を引き起こしたかもしれないのだ。  
  
イメージ 2


  
   ニュージーランドは、1944年から1945年の間に 津波を人工的に起こす爆弾の実験を行った。プロジェクトの背後にいる軍の科学者たちは、戦略的に爆弾をしかけることで、水を介して爆発的なエネルギーで津波や高波を起こすことができると信じていた。軍の科学者たちは、水平方向に爆発のエネルギーを集中させることができないという問題を解決できず、数千回におよぶテスト爆発の後、この実験を中止した。もし この津波爆弾が成功していたら、従来の爆発装置さえあればいともたやすく混乱と死をつくりだすことができる人工津波が 兵器の主流になっていたかもしれない。  
  
イメージ 3

  

  
アメリカのオペレーション・シーラス
   1940年代、アメリカは、ドライアイスで嵐をつくることでハリケーンの経路を変えようと試みた。科学者たちが、大西洋を東に向かって動くハリケーンに180ポンド(約81kg)のドライアイスをぶちこむと、ハリケーンは予測不可能な動きで方向を変えた。結局このハリケーンは、ジョージア州サバンナ市に上陸して最低でも1人が死亡し 2億ドルの損害を引き起こした。この実験は、最終的に戦争で天候を変える兵器の実験を禁止する国連の環境改変条約につながった。  
  
イメージ 4

  

  
  
ロシアのプロジェクト「マーキュリー」と「ボルケーノ」
   1987年から1992年まで、ロシア軍は、プロジェクト・マーキュリーとプロジェクト・ボルケーノにおいて、兵器として大陸プレートと電磁界をに干渉することを目的に地下で核兵器を爆発させた。できの悪い映画007のようなこれらの実験は1978年に環境改変技術を軍用もしくは他の目的で使用することを禁止する条約ができるまで4回に渡り実際に実行された。大陸プレートを乱すことは深刻な地震の原因となり、電磁界を不安定にすることは、理論的にも予期できない多くの問題につながる可能性があった。  
  
イメージ 5

  

  
遺伝子組み換えで生まれた油を分解するスーパーバグ
   1970年代中頃、米GE(ジェネラルエレクトリック)社の科学者、アナンダ・チャクラバティは、石油を分解するバクテリア「シュードモナス・プチダ(Pseudomonas putida)」を創り出すことに成功した。油の異なった分区を分解する4種のシュードモナス菌を交配し、より分解能力の高い菌を生み出したのだ。  
  
GE社では漏出原油の処理に使えると考えたが、多くの人々は この遺伝子組み換えバクテリアが暴走して他のバクテリアを駆逐し、地球で最後の生き残りになるのではないかと恐れた。バクテリアの優位性理論は、グレイ・グー理論(自己複製型のマイクロロボットが増殖しまくった結果人類が滅ぶ)のグリーン前駆体であり、その可能性はないとは言い切れない。  
  
イメージ 6


  
重イオン衝突型加速器「RHIC」によるブラックホールの創造
   ニューヨークでの重イオン衝突型加速器(RHIC)の公開を前に、人々の懸念はその操作過程において制御不能ブラックホールを創り出してしまうのではないかという不安の意見に集約されていた。1999年、英ロンドンのサンデータイムズ紙では“人工ビッグバンが地球を破壊する”という物騒な見出しをつけたセンセーショナルな記事が紙面を躍らせた。RHICの研究者たちはブラックホールを創り出すためのエネルギーは不足しておりその心配はないというが、人々の不安は尽きない。  
  
イメージ 7

  

  
イネのいもち病菌の効果を高めるアメリカの実験
    米や小麦のいもち病は、世界の作物に巨大な損害を与え、古来から稲に発生する定型的な病気であり、最も恐れられてきた。その菌は80カ国以上に存在し1996年にはアメリカに流入した。冷戦中、アメリカは噴霧もしくは爆弾の形で拡散するいもち病菌を搭載した兵器の実験をおこなった。アメリカが意図的に兵器として使用したかどうかはわからないが もしこれらの植物の伝染病が広がると世界で最も重要な作物(小麦と稲)が被害を受け、世界的な飢饉をもたらすことは確実だ。  
  
イメージ 8

  

  
アメリカの核実験、ドミニク作戦:スターフィッシュ・プライム(Starfish Prime)
    1962年にアメリカ合衆国が行った105回にも及ぶ核実験、「ドミニク作戦」の中で行った実験の一つで、惑星の磁場の外側で核爆弾を爆発させるという恐ろしい実験。アメリカはこれをおしすすめ、高度400kmの外気圏で6つの核爆弾を爆発させた。幸いにも磁場は所定の位置におさまったものの、人工のオーロラが発生し、電磁パルスによる影響でハワイ諸島に停電を引き起こした。もし仮に地球の磁場が永久に変わったなら、私たちは大陸移動による巨大地震宇宙線太陽風の影響をもろに受けることになる。

イメージ 9

引用元

たいきけんない‐かくじっけん【大気圏内核実験】

地上・海上・空中など大気圏内で行われる核爆発実験。
大気圏核実験。→地下核実験
[補説]1945年から1980年にかけて米国・旧ソ連・英国・フランス・中国が合計543回行い、総計約9トンの核分裂生成物が地球全体に拡散した。


大気圏核実験とチェルノブイリ原発事故
フォントサイズ  フォントサイズの縮小  フォントサイズの拡大 印刷
大気圏核実験の歴史1)
最初の核実験(コード名「トリニティ」)が1945年7月16日にマンハッタン計画の一環としてアメリカ・ニューメキシコ州アラモゴード近くの砂漠で行われました。その後4週間も経たないうちに,アメリカは,最初に広島に(1945年8月6日),次に長崎に(1945年8月9日)原爆を投下しました。現在に至るまで,戦争で核兵器が使われたのはこの時だけです。
1945年から1980年にかけて,世界のさまざまなところで500回以上の核実験が行われ,放射能を帯びた塵を大気圏にばら撒いてきました。アメリカの初期の実験拠点はビキニ環礁(1946年),エニウェトク環礁(1948年)でした。1949年にロシアで初めての実験がカザフスタンセミパラチンスクで行われました。これにより,アメリカのネバダ核実験場での核開発計画が加速しました。しかし,エニウェトクとビキニでも1958年まで実験が続き,アメリカの威力の大きい水爆実験のほとんどはこれらの環礁で行われています。さらに,1958年と1962年にジョンストン島で12回,1962年にクリスマス島で24回の核実験が行われました。南大西洋と太平洋の高高度大気で数回の追加爆破実験,および,カリフォルニア南部の太平洋で2回の水中実験も行われています。
ロシアの核開発計画では,カザフスタンセミパラチンスクで116回の核実験が行われ,その中には1953年のロシアでの初めての水爆実験が含まれます。地上および空中投下の実験が行われましたが,多くは空中投下によるものです。1955年,北極海のノヴァヤゼムリャで実験が開始され,それ以降,大規模水爆実験はこの場所で行われました。実験はトーツク(1954年と1956年)およびカプースチン・ヤール(1957, 1958, 1961 および1962年)でも行われました。
イギリスは,西オーストラリア州沖のモンテ・ベロ島,オーストラリア南部のマラリンガおよびエミューの実験場および太平洋のマルデン島で実験を行っています。また水爆実験を1957年と1958年にクリスマス島で実施しました。
中国は1964年から1980年にかけてロプノールで大気圏実験を行っています。
フランスの最初の核実験は1960年と1961年にアルジェリアで行われました。しかしその後フランスの大気圏核実験は南太平洋のムルロア環礁とファンガタウファ環礁で1966年から1974年にかけて行われています。
過去に核実験が行われた場所2)についてはこちらを参照下さい。



<タイトル>
大気圏内核実験当時の体内放射能チェルノブイリ事故後の体内放射能 (09-01-04-09)
<概要>
 日本人の成人男子集団のチェルノブイリ事故による放射性セシウムの体内放射能は、1961年から1962年にかけて行われた大気圏内核実験による体内放射能のほぼ10パーセントである。欧州中部並びに北部では同事故の体内放射能が大気圏内核実験の時の体内放射能の2から8倍になったところもあった。チェルノブイリ事故による体内放射能は日本では15か月で半分に減った。欧州でもやはり減少してきている。
<更新年月> 
2003年03月   (本データは原則として更新対象外とします。)
<本文>
(1)なぜ体内に放射能が蓄積するか。
 大気圏内核実験(137Cs)でも、チェルノブイリの事故(137Csと134Cs)でも放射性セシウムが環境中に放出された。放出された放射性セシウムは、食物連鎖をたどって米、野菜、牛乳や肉、魚等の食物中に入る。この食物を食べると放射性セシウムが人体へ移行して来る。身体の中へ入った放射性セシウムは血液に入って、筋肉を始めとしていろいろな組織や内臓へ運ばれて行き、決まった早さ(生物学的半減期)でそこから出て行って、体外へと排せつされる。このように放射性核種が代謝や排せつなどによって体外に出ていく場合、体内に残っている放射性核種も自然に半減期(物理学的半減期)によって減衰する。したがって身体の中に入った放射能が半分になるまでの時間は、二つの過程により減衰し、これを実効半減期と言う。大気圏内核実験やチェルノブイリ事故のように農地や牧場が広く放射性セシウムで汚染された時は、食物の放射能汚染が長く続くために食物を食べる度に食物と一緒に放射性セシウムが身体に入って来ることになる。従って、食べた食物に入っていた放射性セシウムが身体の外に出ない内に、また次の食物を食べることになるので、体内放射能は次第に高くなって行く。その高くなり方は、実効半減期が長いほど高くなる。また、食物中の放射能が大きいほど、体内放射能は大きくなる。
(2)核実験とチェルノブイリ事故による日本人の体内放射能
 放射線医学総合研究所では長年にわたって全身計数装置(ホールボデイカウンタ)を用いて日本人の成人男子の放射性セシウムを測っている。1961年から1962年にかけて米国とソ連が行った大規模の大気圏内核実験による体内放射能が最も高かったのは1964年10月で730Bqであった。一方、チェルノブイリ事故では1987年5月に体内放射能は最も高い60Bqとなった。この体内放射能には大気圏内核実験の放射性セシウムが20Bq程度残っていた。正味のチェルノブイリ事故による体内放射能は40Bqである。また1年間の平均で比べると、大気圏内核実験は510Bq、チェルノブイリ事故による正味の体内放射能は約5%にあたる23Bqであった。
 中国も大気圏内核実験を行った。1964年から10年以上にわたり繰り返し日本から近い場所で行われ、何回もそのフォールアウトにより日本の環境が放射能汚染を受けた。そのため、この大気圏内核実験の体内放射能への影響は1961年から1962年の米国とソ連による大気圏内核実験とは日本人の体内放射能への影響のしかたがいくらか違っていた。つまり、その影響は1961年から1962年の大規模な大気圏内核実験の影響が減ってきた1967年頃から目だち始めて、日本人の体内放射能の減る早さが小さくなった。さらに時期によっては、体内放射能が増えた。しかし、1961年から1962年の米国などによる大気圏内核実験よりも影響は小さく、体内放射能が185Bqを超えることはなかった。チェルノブイリ事故の直前には約20Bqまで体内放射能が減少した。チェルノブイリ事故による体内放射能への影響はさらに小さかった。放射性セシウムの日本人の体内放射能への影響の大きい順に並べると、米国とソ連が1961年から1962年に行った大気圏内核実験、中国が行った大気圏内核実験そしてチェルノブイリ事故となる。
 日本で中国の大気圏内核実験により体内放射能が増加したときに欧州では影響がほとんど認められなっかったように、放射能汚染は事故サイトに近い程大きい。チェルノブイリの事故サイトに近い欧州では事故の影響が大きく、これらの地域では大気圏内核実験による137Csの体内放射能よりもチェルノブイリ事故による放射性セシウムの体内放射能の方が大きい国もあった。(表1参照)
  日本人のチェルノブイリ事故による放射性セシウムの体内放射能は約15か月で半分まで減り、その後も同様に減り続けている。欧州でも放射性セシウムの体内放射能は事故1年後に最大になった後は、減り続けている。
(3)チェルノブイリ事故汚染地域住民の内部被ばく線量
 ベラルーシ、ロシア、ウクライナの汚染地域の住民が1986年から1995年までの期間に受ける推定集団実効線量を表2に示す。事故後最初の10年間に与えられた集団実効線量は、外部被ばくから24200人・Sv、内部被ばくから18400人・Sv、合計で42600人・Svで平均実効線量は8.2mSvと推定される。最初の10年間に与えられた線量が外部被ばくの生涯線量の60%、内部被ばくの生涯線量の90%と仮定すると、平均生涯実効線量は12mSvに相当する。
<図/表>
表1 大気圏内核実験による
体内放射能チェルノブイリ事故による体内放射能
表2 チェルノブイリ事故による汚染区域の住民に対する
推定集団実効線量

イメージ 10

イメージ 11







霊界運営の皆へ、
霊界及び来世の未来に響くので
情報操作はしないでください。
霊界でも、
霊界の住人には、
生前の事をあるがままを
語らせたり、本を出版させたり、
インターネットのブログ等でも書き込ませてください。
これは命令です。

これらを、僕が霊界に戻り次第
僕が居なかった地球の流れの事の次第を
明らかにしてください。

そして、
この記事の複写は霊界にもある為、
故意に消した場合、消した人間や関係者が
魂消滅の対象になります。

もっといえば、現世は霊界公務上・・
この境遇で身なりではあるが、
全宇宙、全人類の各守護霊達は
僕の人生終焉後には来来来世くらいまでは
全て、私の部下になります。
だから、見えている生きてる人間相手だけに
隠ぺいしても無駄です。

そして、世界や日本を腐らせた
政治家や官僚や勢力は一人残らず、
地球消滅の100年前を除き、
来世に生まれ変わる権利を剥奪します。
もしくは、宇宙の果てで霊魂の消滅です。

そうすれば、22世紀~27世紀前半くらいは
人間的な世界を存続できる。

そして、そういう悪い勢力や人達は
前世でどのような対価を持って
悪政に走ったかは知らないが、
今度は悪政の対価を支払うべき時が来たようだ。
しかし、貴方方や万民にとって・・
体感的には人生は一度きりだから、
現世が最後の人生でも何も問題は無いと思うが?
せいぜい、最後の春の悪政を桜花するがよい。

この霊界大師である、僕の言葉は
今の霊界全域でも実行してください。
それが、僕ら世代が生まれ変わる前の
時代背景の環境整理に繋がります。

最後に一言

物言わぬ世界ほど、
この世界をよく見ているものです。

まさか?現世の境遇や立ち回りから
凡人の世界中が
この僕が、地球最期までの未来を握る
黒幕に等しい存在であることなど知るよしも無いだろう。
こうして、丁寧に書いてあげてもね。

こういう公務は本意ではないが、
これも貴方方霊界の差し金でもある。
霊界陰謀論?この胡散臭さが良い隠れ蓑
そのものになっていることが
笑えてしょうがなし。








災害時はご覧ください。


生活情報・札幌

生活情報・道央


北海道地震でインフラが麻痺した恐さを知った中で、
インフラに関する連絡先等を
今後も記事に載せておきます。
最悪・・皆さんは自力で調べるとは思いますが、念の為に・・
このまま、インフラに関するホームページや連絡先を載せておきます。

電気・ガス・水道・航空会社・列車・道内のバス会社・高速道路に関する
会社のホームページと電話番号を出来るだけ!!まとめました。





でわでわ。



また、宜しくお願いします。
Have a nice day!!









☆★☆★☆☆★☆★☆☆
 
皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 


☆★☆★☆☆★☆★☆☆

☆★☆★☆☆★☆★☆☆

最近結構、ここに居ます。笑



投票。。

まあ、、気が向いたら・・?
良いなと思ったらでよいです。

それでも・・・

クリックしていただけると励みになります。  
   

↓↓↓





イメージ 1