ああ、、昨日・・・教習から帰って
記事出そうとしたら、色んな人と話し込んでいて・・
記事出すの忘れていた・・
同じように、人生と戦っている人がネットではリアル以上に多く感じました。
言いやすいからかもしれないですが・・笑
でも・・来てくれた人が、想像以上に多くて驚きました。
同じような、境遇の人の所に出向いていたので・・
そいう人が2.3人来てくれて、近況を話せたらなと思ってました。
まあ・・理解できない人は、笑うだろうし転落した奴と話したら
自分も転落しそうだと、敬遠する人も出てくるかと想像もしてました。
でも・・俺のもっとうは反面教師です。笑
俺は逆に仮に、詭弁者が語る何もかもが成功する人生があるとすれば・・
それこそが、駄作に感じる部分が見え隠れします。
それは、それだけの要素や解釈があって成り立ってるだろうが
もちろん自己満足もあることだろう?見栄もあることだろう?
でも、俺にとっての人生においては・・・
それでは、ダメなんです。
何故なら、井の中の蛙の成功は・・仮に険しい過酷な井戸であっても
井の中の蛙は茶番である。そこに大きな家に、高級車に、資産や小奇麗なキャストがそろえば成功??
そう思うわけです。しかし、衣食住の確保はどうあがいても重要です。
そんな中で・・
リア充だ!!成功した!!→何が???
つまり、気分やその人のレベルに合っての感じ方です。
自他共に・・そんな人が、私が成功者ですと何かの勧誘やセールスポイント意外では
公言はしないだろう?記憶にあるのは大橋巨泉が俺の人生は成功した!!だから政治家になる!!
でも・・気に食わないと辞めましたね?古い話ですが、、
戦後の逆境から、芸能界へと渡り歩いた猛者ではあると思う。
でも・・その人にとっては、実力内の成功!!といってるに等しいから
政治家としては失敗して、周りもさぞかし引いたことだろう・・
しかも・・基準がないから、お金のない人は自称お金儲けした??
そう聞くと、飛びつくことだろう??
でも、何度でも言えることがある・・・
綺麗事ではなく・・事実だと核心して言えることがある。
それは・・
欲求で目が盲目になることなく、客観的にお金という概念を捉えた時・・
*自論「実体は、お金が人という概念を生んだのではなく
人が暮らす為に生んだ概念がお金である。」
この構図だけは事実として揺るがないと核心してます。
苦行という概念も
「苦行が己を育てたのではなく、己が生たい!!生き方が、人が言う苦行で難題だった。」
環境論が前論でも、核心は後の論理だと思います。
環境論よりも核心論の方が根が深いことは確かだと思います。
つまり、各々が無意識に自立した意識の届かない直感の段階から
無意識に選択した環境そのものが、根本的な
己の意思そのものではないだろうか?
そこに成功かどうかなど問えるのだろうか?
長くなりましたが、そいう価値観から・・
人が言う、リア充や利害、利権の成功=人生の成功→幻想だろ?という価値観ゆえに
成功という言葉には常に疑問があるわけです。
ただ、単純計算規模や、実験の成功やプロジェクトが成功という図式までは理解できるが
人生の成功という図式は、そのような意味合いの成功とは異なるのではないだろうか?
ゆえに、心や状況も流動的なものなので、流れる時と思い思いの理想を通して
一期一会に喜怒哀楽を持って堪能して人生を完走してこそ、
俗世冥利に尽きると人生が終わって誰かがあの世でその台詞を言い切って、
初めて人生の成功と言えるのではないだろうか?
だから、目先の利害や合点の次元で成功と言い切って本当に大丈夫??
なんて思うのと、基本・・苦楽から開放したら、肉体や脳の衰退あるのみ!なので
知能や身体力の低下と引き換えに、三大欲求が満たされる環境が成功だと
安易に言ってる人の方が多い気がしてなりません。
ゆえに・・・これは楽天家すぎるやもしれませぬが
天才バカボン!!のいう・・
これでいいのだ~~~~
これが成功という概念においては、自分なりの結論となっています。笑