前回と違って・・
年末近いこともあって、シビアでした。
まず、来月車検なので・・
あと、冬は仕事が少ないので・・
春先や5・6月にまた考えようと思います。
もし・・土日休みが多い場合は
日雇いで、穴を埋めたいと思います。
今年は、本当に頑張れば頑張るほど後手後手でした。
それを引き換えに、得た経験も多いのですが・・
言ってしまえば・・どんな人生の流れでも
タダで失うことも得ることもないということです。
ただ・・かなりの面接マニアになった感と
世渡りスキルが上がったのは確かだと思います。
良くも悪くも渡り歩いた数だけ、資格も増えたし
それと、何より・・ネットでありながらも
1000人の皆様と知り合えることもできた。
偏屈と思われるでしょうが・・
自分は俺一人で1億や100億手にするよりも、
自分が信頼できる、信じられる人間を10人くらい集った方が
大きなこともできるし、確かな人生も手にすることが出来ると核心してます。
例えばです・・極端ですけど・・
最高の家族や親戚・総理大臣・裁判官・現場主義の医者・国内最強の自衛官・
最高の弁護士・公認会計士・日本一の土地を有する農家さん・エンターティナー・娯楽と快楽!?
お金だけなら、世界一の資産家ビルゲイツ・・様々な能力者と友達になって
集った方が、自分ひとりで・・1億や1000億手にするより
豊かな人生になりませんか?
「*補足 ただ、実際・・そういう水準の人は突起した分
常に意識が偏ってるから、生活力がありそうでない連中でもある。
そして、自分の出来ない事って、嫌いな人間にしか出来ない事も多いゆえに
結局はどう理想を求めても、必要悪や嫌いな人間も抱きこまないといけなくなる。
そんな性質も感じるのだが・・あとは嫌いな者は距離と権力の均衡ともいえるが
結局は・・時代や歴史を大まかに振り返っても、その意味合いの延長といえて
成るようには成っているといえばそうで、ありのままの現実を受け入れられたなら
不要な発想でもあるのかもしれないが・・・
一度は考えて、みないとその不要性に気がつかないかもしれない。」
極端な例ですが・・物事の価値って、自分はそう見てます。
もっといえば・・金に埋もれて死んで見たいという願望も確かにあるけど
まあ正直・・同じ窒息死して死ぬなら、、お金か?男の願望としては胸に潰されて窒息!?
いや・・人生の最期ならば、まんざらでもない気もするが、、
ただ、純粋で純真に・・人間の根幹や本質を見抜いたまま
どんな価値にも惑わされること無く、人間の本質的に生きられる
俺のような生き仏のような人間!?それは間違ってもないが・・
そんな生き仏のような・・
生きていることそのものが楽しい人間にとっては、
欲求や願望で、寿命を早める行為は相反することではないだろうか?
もっと、他の例で・・
飛行機事故で、外に飛び出されて・・一人分のパラシュートと1tくらいの
札束か?1兆円相当の美術品や貴金属が1t相当が同時に降ってきたなら
命を捨てて、財宝に抱きついて・・
自分が木端みじんに地面に叩きつけられて、この財宝で
私を生き返らせてくれと言えますか?
もっと言えば・・どんなにお金が降ってきても、己に所有権がなければ
どれだけ、抱え込んでも無効なのです。
着地してから、落ちたもので価値のありそうなものをネコババしても
窃盗罪だし、拾った物や落ちた国しだいでは死刑かもしれません。
一緒にネコババした物の中に、麻薬や覚せい剤が仕込んであったら確実にそうなります。
もしくは、アフリカの砂漠のど真ん中で10年に一人しか通らない所なら
襲ってくる、ライオンやゾウにお金や権利書をちらつかせても彼らのエサです。
太平洋の海のど真ん中に墜落したら、全部金属は沈みます。おまけにサメのエサです。
つまり・・生きることに逆行するなら、願望まではあっても、どんな価値を手にしても
結局・・死んだり、刑務所送りになるなら
端から・・何も得ないかわりに、自由を手にした方が得策で幸せな一生を送れるわけです。
もっと言えば・・お金を得て自由になろうと夢見る人は多いが
果たして、お金で自由になれるだろうか?
もっといえば・・資産を抱えて、引きこもりと同じ生活なら何のためのお金だったのか?
もっといえば・・端から、お金があっても無くても
法に触れることさえしなければ、とりあえず・・日本国内では生きてるだけで
ある面・・自由は約束されているのではないだろうか?
お金があってもなくても、働きたい人は働くし働かない人は働かない
まだ、格差社会といっても中国やロシアほど極端な国ではないから言えるのかもしれないが
実際・・テレビで見る限りでは、中国の山岳民族が困った顔しても
死ぬほど困ってないからか?その割にはのん気な人が多くうつったが・・
結局は・・自由と権利とお金とは、一定の水準までの確保であっても
それそのものが全ての我がままを手にする自由とは限らないし
世界中の金を制圧して得ても、世界の法律や行政が価値を認めなければ
紙切れや数字でしかない、もし仮に100歩譲って・・
それだけの権利と価値があると世界が認めたとしよう
するとどうなる?その権利で永遠の命が欲しくなる人間が結構な割合で出てくるハズだ
確かに、バイオで再生した臓器を取り替えれば・・
それが出来るなら、寿命は延びるかもしれない
でも・・脳が壊れて、アンパンマンみたいにハイ!!新しい頭ですと
取り替えたら、固体そのものは生きるだろうが?御前は誰だ!?ということになるわけです。
しかも・・無駄に人の10倍生きたとしても、おそらくは
相応の幼少と少年・成年・高年期という、一つのサイクルがあって
充実を感じる人生ならば、高年期や成年期や少年期を10倍に引き伸ばしても
内容が80年の体感時間と変わらなければ、結局・・永遠の前に内容が問題ではないか?
そう思うわけです・・
もっといえば・・人間は他の生物より自然界の適応能力が劣る生物です。
どんなに文明や頭が発達しても、今だにゾウガメのように200年は生きられない
もっといえば・・人間の脳は、自然界のリスクを背負って得た能力であって
むしろ・・適応能力が高い他の生物の食物連鎖によって支えられてます。
そして、、限られた温度でしか生きられない生命体は限界があるのです。
そして、地球も宇宙も永遠ではない以上・・永遠ではないのです。
永遠は・・空間の電子やニュートリノが宇宙が崩壊しても存在し続けて
循環してる可能性がありますが・・
我々が最高を求めて、単細胞や電子核になることも逆行するのです。
ならば・・最高とは何かということになれば、結局・・最後は
言葉が悪いが・・自己満足に近いと思う。
各々が各々の価値観と生き方で、納得しなければ・・
周りの評価なんて、一定の目安以上でも以下でもなく
それに惑われて自分を見失い、人として向き合うことを辞めれば
どこまでも、人は不幸を感じることができるものです。
でも、不幸の定義もどこにあるのかは難しい所ではありますが・・
ただ・・内面的には、自分らしくない生き方はその類だと思います。
ややっこしいのは、そこに利害が絡んだ価値観で見たときに
アフガンやイラクのような聖戦という、血で血を洗ってドツボの
常に相反した美学も出てくることは確かのではあるが・・
開けたようで閉鎖的な環境と教養と生存本能が、合わさるとそうなるのかもしれない。
ある程度の自制力もかなり・・
ある面必要だろうが・・
結局・・不自由さとは、、己の頭の固さや
己の生き方のバイタリティそのものの枯渇が
根本的な原因ではないだろうか・・・
限りあるなかでは限界もあろうが・・
その限界を知れば、ある面自重も効くし開き直ることも、割り切ることもできるし
明らめもつくが、その核心を得られない燻りが
心や思考を締め付けているのかもしれない。
連絡待ちや・・
タバコを吹かしながら・・・
そんなことを考えてました。
いやいや・・そんな時期じゃないと
色々と生きる中で整理できないこともたくさんあるのかもしれない。
直接・・金に結びつかなくとも
生き方に反映できる価値観の方が、余程価値を感じる性分だからかもしれないですが・・