霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

①アカシックレコードの語源を生んだ男・・ルドルフ・シュタイナーについて、、

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ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー人智学)の創始者。哲学博士。



概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた[1]。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。


人物と業績


文芸

当時22歳の学生であったシュタイナーはゲーテの自然科学に関する著作を校訂し、序文を書く仕事を依頼され、13年間かけて完成させた。その成果は1897年に『ドイツ国民文学』という叢書の第一巻として出版された。このシュタイナーの業績は識者たちから高く評価された。
哲学

ロストック大学(Universit?t Rostock)で哲学の博士号を取得し、その学位論文を編集して『真理と科学』GA3として出版した。

1894年には哲学的主著『自由の哲学』GA4を出版し、その5年後には自身のゲーテ研究の集大成として『ゲーテの世界観』GA6を出版したが、哲学の研究者たちからはほとんど評価を得ることができなかった。

自由の哲学」ではあるゆる哲学の試みを検討しつつも、複眼的視点においてその欠陥を確定し、別の観点を試みている。シュタイナーは伝記の中で、霊的な物の見方の準備をした試みを哲学において行ったと言い、その当時の自分の哲学を「客観的観念論」[要出典]と名づけた。霊的なものを受け入れる土台つくりに若い頃は励んでいた。自由とは結局、一つの物の見方より、より多くの物の見方を得た時のみ、得る事が出来るというような事を指示しているが、これがシュタイナーの言いたかった霊的なものへの暗示とも言える。
霊的な知識(精神科学/霊学)

シュタイナーによれば、人間の持っている通常の五感では事物の表面しか捉えることはできず、人間の死後に五感を越えたより高次の7つの超感覚(霊的感覚/器官・チャクラ)によって初めて、事物の本質を把握することができるという。そして、その超感覚は誰しもが潜在的に持っているものであり、生きている間は瞑想や思考の訓練によって引き出すことができるとした。ゆえに自分が語っている霊的な事柄も万人が確かめることができるものだとして具体的な修行法を本で公開した。しかし、霊媒や降霊術等の、理性的な思考から離れて感情に没入する“神秘主義”については、科学的でなく、間違った道であると警鐘を鳴らしていた。シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった。

自著『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』では具体的な霊的体験を得るための修行法を描いているが、二部を作る前に世を去った。また自身が40歳になるまでは霊的な指導を引き受けなかったのは、40歳までに霊的な指導を引き受けると誤謬に陥り易くなるためだとも言う(発明は40歳までのは人類の道徳を退行させ、40歳以後は人類の道徳に貢献するものにもなる、と主張されている。)。


つづく・・・

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