霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

②アカシックレコードの語源を生んだ男・・ルドルフ・シュタイナーについて、、

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社会改革

人類史上初めての世界的戦争である第一次世界大戦後の最中にあって、戦争を初めとした社会問題の解決策として、「社会有機体三層化運動」を提唱した。社会という有機体を精神生活(文化)、法生活(政治)、経済生活の三つの部分が独立しながらも、精神生活においては「自由」を、法生活(政治)においては「平等」を、経済生活においては「友愛」を原則として、この3つが有機的に結びつくことが健全な社会のあり方であると説いた。当時のドイツの外務大臣を初めとする国家の指導者たちにこの提案を知らせたが、政治的に採用されるには至らず、長い間顧みられなかったが、1970年代後半ころ再び検討され出し、1980年代の西ドイツの緑の党 (Die Gr?nen)の創立理念に影響を与えた。


教育

学校教育

シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行う「自由ヴァルドルフ学校」は、1919年にシュトゥットガルトの煙草工場に付属する社営学校として開校された。この工場に働く労働者の子弟が生徒であったため、初等・中等教育および職業教育を行う総合学校の形態をとった。このタイプの学校がドイツ内外で次々に設立された。現在ドイツのそれらは自由ヴァルドルフ連盟に属している。ヨーロッパ地区では「ヴァルドルフ学校」または「ルドルフ・シュタイナー学校」と総称され、600校(うちドイツに200校)ほどが各国連盟ごとに存在している。日本およびアジア各国においては「シュタイナー教育」という呼称が一般的である。日本およびアジアには正規の連盟がなく、したがって認証の基準もないまま、各フリースクールが勝手に名乗っている現状である。シュタイナー学園(神奈川県相模原市藤野町)や東京賢治の学校自由ヴァルドルフシューレ(鳥山敏子代表)など数校が交流を試みている。ヴァルドルフ学校は自称のそれまでを含めると世界中に900校以上あるといわれる。
幼児教育

シュタイナーは、1920年6月の、さきの学校での教員会議で「ほんとうは、幼稚園の頃から子どもを預かることができるとよいのです。子どもたちを受け持つ時間が長ければ長いほどよいのです。就学以前の子どもたちを受け入れることができるはずです。(中略)幼い子どもたちの教育の方が重要なのです」と発言するなど、幼児教育の重要性を説き、彼の指導のもと、E.M.グルネリウスによってシュタイナー幼稚園を設立する意向であった。しかし、彼の存命中に叶わず、亡くなった翌年の1926年にグルネリウスらによって、シュタイナー教育の理念に基づく幼稚園が始まった。
治療教育

障害を持つ子供達を受け持っていた学生たちがシュタイナーから受けた助言をもとに、ドイツのイェーナ近郊に治療教育施設「ラウエンシュタイン治療教育院」を作った。ちょうど同じころスイス・アーレスハイムの臨床治療院(現在はイタ・ヴェークマンクリニックと呼ばれている)では、心身に何らかの障害を持つ子どもたちが入院し、その入院施設が後に発展して、1924年に治療教育施設「ゾンネンホーフ」が成立した。シュタイナーは治療のために薬以外にも、音楽、絵画、彫塑、オイリュトミーなどの芸術や宗教による特別の教育を示した。イギリスにおいては治療教育は、シュタイナー教育の代名詞と言われるほど評価が高い。
七年周期による教育

シュタイナーによれば人間は7年毎に体を完成させてゆき、63歳で成長の頂点を迎えるとしている。

7歳までを肉体、14歳までをエーテル体、21歳までをアストラル体の完成とし、それ以降は自我が独立して発達するとし、それ以前の期間を教育が必要な時期とした。
四つの気質

シュタイナーは四体液説の粘液の分類を取り入れており、自我が優勢な胆汁質、アストラル体が優勢な多血質、エーテル体が優勢な粘液質、肉体が優勢な憂鬱質があり、それぞれの気質の中心によって、子供を分類して対応を変えている。この気質は誰もが四つ持っているが、優勢なものが一つあり、個人における四気質を調和へと導くことが教育の課題であるとしている。


芸術


神秘劇
超感覚的世界というテーマを含んだ新しい劇である「神秘劇」を四作創作した。現在でも毎年、スイスのドルナッハで上演されている。
オイリュトミー
音や言葉の質を身体の動きによって表現する独自の芸術を考案した。これはシュタイナー教育のカリキュラムや障害児に対する治療教育にも用いられている。


建築


自分達が内部で行うにふさわしい建物の形が必要だとの考えから、シュタイナーがゲーテアヌムと呼ばれる独特の形姿を持つ建物の設計を行った。最初に建設されたゲーテアヌムは、2つの天蓋が有機的に交わる木製の建築物だったが、火事により消失。現在はミュンヘンのピナコテーク・デア・モデルネに模型が置かれている。

第二ゲーテアヌムについては、彼自身が粘土で模型を制作、現場で建築作業を直接指導し、小ドームの絵の大半を自ら描いた。普遍アントロポゾフィー協会(一般人智学協会)があり、人智学運動の中心地となっている。


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