霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

初代ラスカルの現宇宙内の過去世を振り返る。次は「☆マイナス・ラスカルX世(初代ラスカルから→マイナス・ラスカル20世より昔で、紀元前の輪廻)」ユーラシア大陸キルギス~エジプト経由の輪廻 第四章

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「備考 文字数の制限上、前編から続く話の続きです。いきなり読んでわかりにくければ・・

すみませんm(_ _)m 」

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そして、先程も言ったとおり・・


ありふれた身近な、人生や生活圏での、生きている感覚は意外にも、

それらの、物理的に破綻した次元の、輪廻であっても・・

しっかりと、その生活圏内の構図や、縮図や、延長に、

しっかり成り立って、つながっているものなのです・・


でわ・・

前置きが・・論文になってしまったが??


改めて、、

「☆マイナス・ラスカルX世(初代ラスカルから→マイナス・ラスカル20世より昔で、紀元前の輪廻)」ユーラシア大陸キルギスイラク←エジプト経由の輪廻の流れを整理しますが・・




飯も食えない人生もたくさんあったが、時代の流れがわからない??

原野や山岳地帯でも?家畜や狩によって、動物や海産物や山の恵みで命を繋いでこれました。

なら・・現住民族として、転生してれば良いのでは?ということになるが、、

それでは、時代の流れを見届けることができないから・・

こういう転生の仕方、生き方に繋がったように思えます、今となっては・・

そういった中で、今の時代の教養で、少ない頭なりの解釈でいうと・・

ユーラシア大陸キルギスイラク←エジプト経由の輪廻付近では、相変わらず・・


100年の間に、20年~40年の人生を2・3回くらい繰り返したぐらい、

犬猫並みの周期と回転率で、黙々と・・生き死にを数万年単位の中で繰り広げられていた頃でした。

だから・・1万年に200~300回は、少なくとも生き急いで輪廻を繰り返していたので

前世という領域では、既に計りきれない領域であることが、おわかりでしょうか??


それでも・・原始人時代の、平均寿命らしい??

20年以下の、早死にが少ないのは、そういう生存本能や免疫力が

地球創世記の生存競争の、恐竜も居た自然界や野生のなかで、

立派に魂と共に、肉体も構築され、活性化していた証でもあります・・

ただ・・とっちょこちょいな、性分なので、、w

もしかしたら・・毒蛇やサソリの毒で死んだことは、あったかもしれないが、

そういう生死すらも、輪廻ではそういう、原始的な生死の恐怖だけの学習が、

実は単純明快に生命体としては絶対的に重要で、それに加え・・

免疫系統の抗体も、増築するように再構築しながら、

霊界の再構築空間で、生存本能や習性を魂に書き加えて

その霊界で変換しながら、下界でそれらを具現化して、

魂を矯正しながら、無制限に転生して生きてきました。



しかし・・・記憶に残る輪廻では、現世(21世紀の初代ラスカル時代)での、

トレーラーによる巻き込み事故や、全身麻酔手術の時の幽体離脱とか?

そういう意味で、恐ろしい境遇は・・

霊界の時の1980年代や、現世の1980年代での境遇を持って

4歳で死に掛かった展開は、記憶にないだけかもしれないが、

現世や霊界がはじめての展開かもしれないです。

そして・・

その時(霊界が21世紀)の霊界で守護霊達に、

これら(アカシックレコード)を表現できる・・

能力の開眼者ストーリーを頼まれなければ・・

基本的に・・

危険で怖いことは、生存本能的に一番恐いことなので、

その時の霊界で・・

守護霊や現空海に、呼び出されなければ・・

現世も普通に農村あたりで、のんびり生きてたと思います。

シナリオ無きシナリオの中では、霊界的には、相応の腹積もりというか?

俺がどうあがいても・・こうなるように仕向けることが決定していたようなのだが??

だから・・むしろ、生きて体感する、体感者のラスカルとしては、、

生き慣れた創世記よりも、近代文明での機会オンチとか?

文明社会の落とし穴??巧妙な詐欺とか?

それらの方が、むしろ・・

現世の俺にとっては恐いくらいかもしれません。



それと・・話を、また、創世記に戻すと、、

当時の大陸大移動の移動の引きがねは、だいたい、、

食糧事情と、争いに巻き込まれそうな時と、完全な命がけの好奇心や探究心です。

ですが・・こんなに輪廻していても、命は惜しいもので、、


無駄な戦乱は確実に回避してきたので、この何百の輪廻で戦死は一度も無いです。

食うに食われなくとも、どんなに相手の陣を攻撃したくとも・・

領地を明け渡して、極東へ移動していったので・・

戦死はないですが・・

実は・・一度、、命がけの、、

仲間内のケンカ(決闘)で、一度・・勝ったが為に、殺した人生があったが、

当然・・当時は、法律も無い時代なので、決闘で死なせても、、

身内に恨まれても、それで裁かれる時代でもなかったです・・

そんな状態が・・ブラジルや中東などや、アメリカのスラム街で、今の21世紀でも起きてる状態

というのも・・色々な意味で、考え深いです。

どういう事かというと・・良くも悪くも、生き方を変えられない者同士の、

輪廻もサイクルも、同じ地球を共存し、その問いを投げかけているてることも意味してるからです。

確かに・・彼らを制圧して、従わせることはできるかもしれないが?

地球上や霊界の輪廻の循環の次元で見ると、変化が無い争いの中で、

周りがその、不条理で不可解な問いの恩恵も受けている意味を示します。

彼らも、わからないから、そういう輪廻とコミニティーの中を同道巡りしてるが・・

一部の自由意志の尊厳も絡むと、裁けない部分や経済的に、施設を構築できない

温度ムラを否定して排除も出来ないかわりに、かれらが反面教師になることで

わかる者が、事態を確認次第・・

同じ状況を回避できる、効力もそういう、負の恩恵で・・

この輪廻や自然界という次元になると、人間的法の理念などが適法とはかぎらない上に・・

自然災害くらい、どうすることも出来ない、噛み合いも無数に出てきます。



ちょっと・・世界情勢まで、論じてしまったが??

話を戻すと・・


意外と・・無数の輪廻の中であっても、

極力、中国時代や日本の戦乱期でも、政治的な利害がなく狙われにくい地域に潜伏してたので

そういう、仲間との決闘事件意外での、その時の輪廻意外では・・

命のやり取りは無いです。



ただし・・殺した人生以降は、殺しあう展開は、殴り合いのケンカにまでなって、

大怪我や怪我することは、あったとしても・・

たとえ、どんなに憎くても、殺めたことは無いです。

それと・・良くも悪くも、アカシックレコードが発達した輪廻者である、

俺自身だからかもしれないが、そんな創世記で殺めた罪悪が今でも潜在的に残ってます。

そして、その周りに回って再会したことが、現世の職場でもあって・・

その、殺めた男の転生が、現世の餡子屋に居て・・

仲が良かったが・・原始人女が登場したくらいから、そいつも性格が威圧的になってきて

確かに・・原始人女の、幾世の旦那でもあるせいか?

原始人女を素直に不気味がる、俺が徐々に勘にさわったか??

半年くらい、陰湿なクレームばかりつけてきたある日に

ケンカになって、床が滑って転んだついでに、足を締め上げて

そのまま、体重が軽い奴だったから、持ち上げようとしたら、ギブアップ勝ちしたが・・

しばらく・・社長や課長に説教のネタにされたことがあったが、、

確かに、その創世記の決闘での展開では・・木で出来たこん棒で殴りあったが、、

現世は、無意識に凶器を使わなかったのは、そういう魂のいきさつが無意識に出たからだと思います。


しかも・・来世(ラスカル2世)の親友である男と同魂者で、

同じ輪廻サイクル上の人物でもあるから、来世(ラスカル2世)では、

あまり刺激しない配慮を、来世は心がけるに尽きると

現世から思ってます。それでも一応・・

同じ同魂者としては、ミュージシャンの布袋寅泰が有名人かな?

そして、宇宙一周挟んだ前の、同魂者が来世の親友で、

その親友の宇宙一周前は、建設現場や、移動式小型クレーンの講習でも居合わせた・・

鉄筋屋で、その前の宇宙一周の前の間隔で、

餡子屋の同僚であり、決闘で殺めた同サイクル上の同魂者です。

そして・・その職場でギブアップさせた、遥か遠い過去世で

本当に殺めた・・男の創世記の姉さんが

現世の元日テレアナウンサーの西尾由佳理の過去世にあたる魂です。

当時としては、絶世の美女で弟だったので、そいつを羨んだな・・

しかし・・ケンカになり、決闘になったのは、その何世か挟んでの輪廻だった・・

ちなみに・・来世(ラスカル2世)の時の、親友の時期は、、

現世は存じないが・・

その前の輪廻では相当・・揉まれた、輪廻を生きてきたのか?

結構な人格者です。

ただ・・もし?来世の親友ストーリーならば、、

40代前半か?半ばくらいに、自暴自棄になる時期が来て・・

展開次第では、その親友が他界する間際に心を割って話すまで・・

絶縁状態になるかもしれないから、要注意である。

逆に・・ラスカル2世が結婚しないストーリーならば、逆に40代半ばで自暴自棄になるのは

ラスカル2世の恐れがあります。

数度・・そういうパタンの転生がアカシックレコードに残存してます。

それと・・言い忘れたが、同じ宇宙に魂を晒す時期が来ても、

人生での老衰的な意味での、人霊としての、一定の区切りとしての最期ならば、

素晴らしい輪廻だったと言えると思います。

少なくとも、私は、そんな魂なら・・

宇宙に魂を晒す時期が来た、魂であっても尊敬します。

しかし・・晒さなくても良い時期に、先走る魂を、

幾世先の俺の可能性として、己の戒めとして、置き換えて無駄にしない所存です。



5000文字を超えたので、次の記事に、話が続きますm(_ _)m