霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

霊能者であり、一人の人間として見た・・世界の悪魔祓いや集団ヒステリーの背景。

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霊能者であり、一人の人間として見た・・
世界の悪魔祓いや集団ヒステリーの背景。


 『In Deepさん』のサイトからの転載です。

長いですが、後半は『特に今の日本人に大切なメッセージ』にもなってるかと思いましたので、転載させて頂きました。



転載開始。
明瞭に出現し始める悪魔的存在 : マレーシアのイスラム学校で起きている「悪霊の攻撃」は、姿と質感を持つ「存在」によるものだった
  2016/04/21  

2016年4月17日のマレーシア英字メディアより

 
この「集団パニック」という現象というか出来事については、このブログの最初の頃から、それが世界のどこかで起きた時にはなるべく取り上げていたテーマというか、気になり続けていたものです。
その理由は「状況が、いわゆる悪魔憑きといわれる現象と似ている」ものが多いためですが、過去記事などに見るそれらの悪魔的特徴というのは、後でご説明するとして、今回は先にマレーシアの報道をご紹介しようと思います。
その理由は、現在マレーシアの学校で起きていることは、過去に取り上げたどの集団パニックとも違う部分があります。
それは、
  • 生徒たちも教師たちも「何かの存在」を見ている
  • 何人かの生徒や教師たちは「何かの存在に身体を掴まれて」いる
  • 自分の身体にその存在が「入ってこようにする」ことを感じる
ということなどです。
これまでの集団パニックにも、「他者の存在を感じさせる」ような部分はあります。
たとえば、下は 2011年2月にジャマイカキリスト教系の名門女子校で起きた集団パニックが報道されたことをご紹介した過去記事からの抜粋です。
報道によると、祈りの時間に生徒たちが特別な福音を奏でている時に、事件は突然起きたという。生徒たちは、まるで目に見えない力で地面に叩きつけられたかのようだった。
目撃者のひとりの女生徒は以下のように語る。
「私たちもそこにいたのですが、彼女たちは突然、何かに殴られたかのように床に倒れ込んだのです。それから、彼女たちは、奇妙な振る舞いをしながら、足で手当たり次第に空中や周囲のものを蹴り出したのです。とても恐ろしかった」
こういうような「目に見えない力が介入している」感じはあったのですが、今回は、「見える」、「質感がある」ということが明らかになった出来事のようで、いよいよ「本格化」してきたような気配を感じます。
また、今回は教師も集団パニックを起こしていて、これも前例を知らないです。
冒頭のフリー・マレーシア・トゥディの記事をご紹介します。
 

More screaming heard at ‘hysteria’ school
Free Malaysia Today 2016/04/17

さらに多くの悲鳴が「集団ヒステリーの起きた」学校から聞こえる

マレーシアのコタバルにある SMK ペンカラン・チェパ第2中学校で、50人以上の生徒と教師が「集団ヒステリー」に苦しめられており、また、同時に「黒い影」が多くの生徒と教師たちによって目撃されている。
学校はこの出来事により 4月14日に閉鎖された。
この学校は、生徒 1044人と、教師 84人から構成されている。
最後に集団ヒステリーの攻撃を受けた3日後の 4月17日、イスラム宗教学者イスラム医学医師の立ち会いの下、学校は再開された。
しかし、学校の再開を取材していたメディア「スターオンライン」によれば、外で待機していた記者やカメラマンたちは、午前 11時に学校内から複数の悲鳴や叫び声を聞いた。しかし、取材者たちが学校内に入ることは許可されなかったという。
今週のはじめ、学校の校長シティ・ハワ・マット(Siti Hawa Mat)氏は、「すべての被害者が黒い姿を見ていると述べている」と語っていた。
校長は、4月11日に 25人の生徒が集団ヒステリーの攻撃に遭い、13日には 50人の生徒と 11人の教師が集団パニックに陥ったと述べた。状況を改善するために、イスラム医療従事者たちによるケアを供給しているという。
学校が設立されたのは 2001年だが、このようなことが起きたのは、これが初めてだという。
スターオンラインによると、この学校を再開した日、学校関係者たちは、コーランの朗読を2時間おこない、生徒と教師が共に祈りの時をもった。また、中国人の呪術医(bomoh)も、学校の状況を支援するために学校施設内に入ったと考えられる。
4月13日に集団パニックに襲われた女性教師のラムリさんは、以下のようにメディアに語っている。
「パニックに襲われたひとりの生徒を抱いた瞬間、自分の腕が信じられないほど重く感じられたのです。私はすぐにイスティグファール( istighfar / イスラムの神に許しを請う言葉)を繰り返しました。そして、その時から、何もかも自分で制御できなくなってしまったのです」
「その生徒が回復し、帰宅した後、私は、誰かが私の身体の左側上方にぶら下がっている感覚を持っていました。そして、私は黒い姿を見ました。現れたり消えたりする黒い存在でした」
別の女性教師のイブラハムさんは、自身が身体の制御を失った時に、コーランの詩を暗唱しようとしたという。
「私は黒い姿を見ました。その黒い姿のものは、私の身体の中に入ろうとしているように見えました。しかし、同僚の教師たちが、私を取り囲み、みなでコーランを朗読してくれました」
「私は頭が大きく重くなったように感じました。頭にしびれを感じ、同時に涙が流れて、私の頬をつたいました。私は黙ったまま、何度も繰り返しアヤトゥル・クルシ( Ayatul Kursi / コーラン雌牛章 255節のフレーズ)を暗唱しました。その後、1時間ほどして、頭が軽く感じられるようになりました」
彼女はこのように語った。

 
ここまでです。
SMK ペンカラン・チェパ第2中学校の場所
http://indeep.jp/wp-content/uploads/2016/04/malaysia-school.gifGoogle Map
 
参考までに、記事に出てきた中で、イブラハムさんという女性教師が唱えた「コーラン 雌牛章 255節」は以下のような下りのようです。

コーラン(クルアーン)雌牛章 255節

アッラーは、あなたがたの誓いの中、不用意な言葉を咎めようとはなされない。だが、あなたがたの心の意図することを、咎められる。誠にアッラーは寛容にして大度の持主であられる。
また、「中国人呪術医」というのは、下の方のようです。
 
ところで、先ほどのコーランの「雌牛章」を少し読んでみたのですが、「悪魔」という言葉が何度も出てきます。たとえば、
雌牛章 268節
悪魔は貧窮をもってあなたがたを脅し、また恥じ知らずの行いを命じる。だがアッラーは寛容と恩恵をあなたがたに約束されておられる。アッラーは厚施にして全知であられる。
のように出てきて、また「人々よ、悪魔の歩みに従ってはならない」と何度も繰り返されます。
この学校でパニックに襲われた教師の人たちが、そういうものを心の中で暗唱していたということは、彼女たちの念頭に「自分を襲っているのは悪魔」という概念がすぐに浮かんだということなのでしょうね。
これをおこなっているのは悪魔だ、と。
 

女性と敬虔な宗教者たちがターゲット

In Deep でこれまで取り上げた集団パニック関係の記事は、6年前をはじめとして数多くあります。
 
[参考過去記事 / 集団パニック関係]
 
これらの現象には、完全ではないですが、ある程度共通している部分があり、それは、
・学校で起こる
・症状が出るのは女子生徒
・連鎖的に失神する
・あるいは連鎖的に奇妙な行動に走る
・未知の言語を話す
・異常な怪力
などです。
この中の「未知の言語」というのは、今回の記事では見当たらないですが、これはいわゆる小説(映画)『エクソシスト』などでも描かれますが、「エクソシズムの条件」として、悪魔が取り憑いた証拠のひとつとして、実際にカトリック教会で掲げられているものだそうです。
たとえば、以前、こちらの記事に、英国オックスフォード大学の文献にある、
キリスト教司祭による悪魔払いを観察した医師と精神医学者たちの記述」
をご紹介したことがありますが、そこには、以下の記述があります。
「ジュリアは最初、静かにトランス状態に入っていった。しかし、カトリック式の儀式と祈りの呼び出しが続く中で、次第に、ジュリアから複数の音や声が聞こえてきた。大声で呻る動物のような音や人間の声と思われる音がまとめてジュリアから発せられた。人間の声はラテン語スペイン語で話した。さらに、私たちの知らない未知の言語でも話した。ちなみに、ふだんのジュリアは英語しか話すことができない」。
これは、オカルト本からの抜粋ではなく、オックスフォード大学の 2008年の学術文章に医療専門家たちが書いたもので、なかなかの資料といえます。
もちろん、一連の集団パニックと、このような悪魔憑きといわれる現象を同列にするのはおかしいかもしれないですが、それはともかくとしても、マレーシアの出来事は、
  • その「存在」が姿と質量を持つこと
  • それは人間の身体に入ろうとすること
を示した初めての事例のような気がします。
これまでの集団パニックでも「存在」は、質量を持っている「らしい」気配はありまして、たとえば、先ほども少し抜粋しましたが、2011年にジャマイカキリスト教会系の女子校で起きた様子を報道した現地の記事をご紹介した記事から抜粋しますと、以下のようなものでした。
2011年1月30日の「ジャマイカ・オブザーバー」より
三人の女子生徒が地面に倒れた瞬間から、まるで地獄ような光景が繰り広げられた。女子生徒たちは、まるで何かに取り憑かれたかのように地面をのたうち回り、体を震わせ続けた。
報道によると、祈りの時間に生徒たちが特別な福音を奏でている時に、事件は突然起きたという。生徒たちは、まるで目に見えない力で地面に叩きつけられたかのようだったという。
目撃者のひとりの女生徒は以下のように語る。
「私たちもそこにいたのですが、彼女たちは突然、何かに殴られたかのように床に倒れ込んだのです。それから、彼女たちは奇妙な振る舞いをしながら、脚で手当たり次第に空中や周囲のものを蹴り出したのです。恐ろしかったです」
その後、生徒たちが恐れて泣き叫ぶ中、今度は何人かの生徒たちが自分の服を掻きむしって脱ぎ始め、そして、ぜんそくの発作の時のような仕草を見せていたのだという。
 
また、これについては、その後のジャマイカの他の報道では以下のような記事を掲載していました。
2011年2月1日の「ジャマイカ・スター」より
ジャマイカ中央部にある著名なハイスクールの生徒たちは、自分たちの学校が悪魔によって攻撃を受けていると確信しており、多くが自分たちの身を案じている。
寄せられた情報によれば、学校内で起きたいくつかの事件によって、生徒たちは、悪魔によって学校が蝕まれていると考えるようになったという。
最も最近の事件では、ひとりの女子生徒が壁際にある自分の椅子に座っている時に、壁から悪魔によって突き押されて、彼女はそのまま病院に運ばれた。
もうひとつの事件が最近起きた。
「女子生徒が校門の塀の上に座っていたんです。そうしたら、悪霊が彼女を突き落としたんです」と、目撃した15歳の生徒が言う。
別の女子生徒が言うには、彼女は、幽霊に押されたのではなく、むしろ、「塀の上から飛ぶように何者かに命令されて、自分から飛び降りた」のだと言う。その女子生徒はウィジャボードを手にしていた。
また、何人かの生徒たちは、何人かのクラスメートたちが、自分の体に「悪魔的な模様をつけている」と語った。それは、数字の「6」によって描かれる悪魔的な三日月と半月のようなマークだという。
これらにあるような、
  • 誰かに自我と身体を支配され、コントロールされる
という状況も、すべてではないですが、よく見られることです。
 
結局、この「自我を自分でコントロールできなくなる」というのが、今の時代に漂うひとつの大きな問題なのではないでしょうか。
通常の理解では、どうやっても考えられないような犯罪の多発や、犯罪はおかしていなくても、そのような考え。
そういうものが、非常に広く社会に広がっていて、それは全世界的になってきていることは、最近のニュースを見ていますと、どなたでもお感じになるのではないでしょうか。
最近、「悪魔の時代のニュース」というタイトルでいくつか記事を書きましたが、現在は、その通りの「悪魔の時代」に突入していて、そして、先日の、
という記事などに、「33」という数字と、これからの地球の試練(になるかもしれない)などのことについて記しましたが、今もなお九州で活発な余震が続いている場所は以下のような緯度でもあります。
この数字の合致はあくまで「偶然」ですが、しかし、マレーシアの例を見ても、悪魔的な概念で起きることが、以前より直接的になっている・・・という意味では、この偶然は大きな偶然だと思っています。
 
かつて・・・大変に美しい大地と、人々が明るく健やかな心を持っていた日本という国は、結局、宗教でいう悪魔的存在に「狙われやすい」ものだったのかもしれません。狙われ続けて今の日本のようになってしまったという考え方もあるのかもしれないですが。
最近の日本は、どちらかというと「ネガティブな感情が全体に広がっている」という感じがとても強く、虐待や家庭内暴力、あるいは、ネットでの攻撃や炎上なども含めて、知らず知らずのうちに日本人ひとりひとりが悪魔的な思考になっている傾向があることは否めないのではないでしょうか。
地理的に見ても、シュタイナーの「頂点は日本です」という言葉(参考記事)から考えて、日本の試練はまだ続くと思わざるを得ません。
しかし、先に待つ困難がどのようなものかわかるわけでもなし(漠然と想像はできるにしても)、無意味な恐怖や悲観を持つことは、おそらくいいことではないです。
なぜなら、恐怖と悲観は「悪魔的存在」が最も好むものです。
神(のような絶対的な宇宙存在)は、その逆を好むことは、中村天風さんなども述べていたことです。
私自身が、常に非常にネガティブな思考感を持っている人ですが、こういう私みたいな人こそ、「ポジティブ」という意味をもっと真剣に考えて、「悪的なもの」の進行を食い止めるために・・・たとえば、それは、中村天風さんが繰り返し主張していた、
・積極的な考えであること(否定的・消極的な考えを持たない)
・口から出る言葉を大事にすること(否定的・消極的な言葉は使わない)
・何にでも感謝すること
・信念を発布すること
・笑うこと
などを強く心に留めて、そして、こういう態度「だけ」が、これからの世の中にこそ大事だということでもあるような気がします(参考記事)。

 
悲劇が起きると、笑うこと自体を不謹慎とするような傾向がありますが、笑いのない世界は悪魔的存在にとっては快適な場所となり、さらに悪魔的事象が繰り返されると私は思っています。
現在被災されている方などが直面している厳しい時、あるいは他の場所でも、日本に住んでいるならば、誰でも「さらに厳しくなる時」にぶつかる可能性がある今だからこそ、日本人は否定的で消極的な気持ちでいてはいけないのだと思っています。
地球の現状はそのくらいにまで来ているということになりそうです。
転載終了。



正しい思いやりの気持を持って活き活きと生きていきたいもんです。


・積極的な考えであること(否定的・消極的な考えを持たない)
・口から出る言葉を大事にすること(否定的・消極的な言葉は使わない)
・何にでも感謝すること
・信念を発布すること
・笑うこと


_______________________

記事の話は長かったが・・
ここからが、私の見解になります。

まず、一般論として言えることは??

一つに、大まかにはユダヤ教キリスト教イスラム教の三つ巴戦のような
紀元前から続く背景があります。
どちらも、オマエの資源や土地が欲しい!!
それを神仏を翳すことで、
無理やり作りあげた大義名分である。
その証拠に、ピタゴラスの定理
今でも製図や設計に欠かせないほど
確かであり、一貫性があります。
それが真実というものです。

しかし、宗教になると
時代や国々の情勢そのものの総和が神になります。
だから、ピタゴラスの定理のような
どんな時代や背景でも覆りようがない事実と異なる
言い方が良くないが
ご都合主義な神様や神話が次々と生まれた中で
儀式が伝統になった背景があります。
それでも、ある面・・
教養が行き渡らないなりの
伝達網や心理学や哲学の代用の一種には
なりえたことは言うまでもない。

さらに、仏教でいう悟りを開いた
ブッタがノーベル賞を総なめの
オリンピック全種目金メダルということが
起きただろうか?
つまりは、端から・・それが答えなのです。
そのあるがままの事実を湾曲させる背景こそ、
利害関係なのです。
ある面、生命活動の一端でもあって
自然といえば自然かもしれないですがね。

そういった中で、この転載した記事の話に、話を戻すと
幾つか前提として考えなければならいことがあります。
それは、シンガポールを含む東南アジアの地図を見て
気が付く事はないだろうか?
それは、アヘン戦争の舞台と言っても過言じゃない
アヘンの産地であり、
一部は医療用にモルヒネなども作られます。
それ以外にも、
脱法ハーブ的な薬物や水タバコなどがある国です。
確かに直接彼らが薬物によって
異常行動を引き起こしたとは言いません。
しかし、受動的にそういう間接的な薬害になり、
さらに、貧困層は食べ物は無いが、
お酒と薬は簡単に手に入る上に
日本のように、国の統制が取れなければ
薬物関連はザル法に等しく、
日常的にそういうアルコールや薬物を
何かしらで摂取しやすい国であると言えます。

そこに加え、
宗教や貧困や風潮や学校という隔離という、
無意識行動の中で
抑圧された欲求不満や心の飢餓や自我が
集団心理を借りて、
解放された一種の催眠状態が複合的に
誘発した状態が
おそらくは、転載した記事の背景と思われます。
水が高くて買えない人は
子供でもお酒を飲む国々です。
さらに薬物など・・これらが呼び水になり、
宗教儀式でトランス状態や夢遊病状態を
引き起こしたと考える方が自然ではないだろうか?
ここまでは、一般人としての私が察する見解です。


ここからが、
人生終焉後には平等に明らかになりますが・・
霊能者としての私の見解になります。
まず、先に話さなければならいことは・・
大方の皆さんは、
霊界版の21世紀等の暮らしの転生が
そのまま現世です。
逆に今の霊界版の文明界は現世の未来です。

テレビとかで出て来そうな霊能や占い師は
見えた見えないに意識が偏り過ぎて、
皆が通ったこのプロセスが皆と同じくリセットされている自覚がない。
さらに、皆を陰で支える
霊界スタッフ(俗に言う守護霊達)には
無頓着なくせに、平気で霊が居る居ない?
そんな話を、同じ次元の俗世の皆さんと波長が合うから
それっぽく感じるだけなのです。
施す側も施される側も端から、
自覚なんてあったものじゃない。

そこまでいう私が、霊界大使であり・・
霊界から職業にすることを止められる理由もそこです。
結論から言えば、境遇に於ける平等という真価そのものが既に答えなのです。

甘い物が幸せだと依存すれば、
酷ければ糖尿病になるし
酒を飲むことが幸せだという人が、
肝臓癌や肝硬変になる
目の前に、幸せの答えはあるのに・・
それをめんどくさがり・・
そんな尺度で、天使や悪魔や神様を
想像したらどうなるだろうか?
正しい?大義名分の中で自滅することになります。
露骨なのは、調子の良いことばかり言ってる
政治家や芸能人ほど、スキャンダルを起こしやすい。

本当に正しければ、
問題は起こらないのです。
違いますか?

さらに、例えば自殺に追いやった相手が
先に霊界に帰り、
己が後から霊界に帰ると、
虐めて死に追いやった相手は
先に大人になり、
その大人になった人物が近所の人間関係や
親子や親族に組まれたら、余程のことがなければ
何かしらの報復に出ます。
その霊界の暮らしは、そのまま来世になります。
だから、全てとは言いませんが・・
現世の虐待や虐めや事件事故の被害者と加害者の
背景が輪廻の再構築越しに、織成しています。

裏を返せば、そうすることで魂は揉まれます。
寒さも暑さも刻まれます。
それが端から答えなのです。

そこをアンパンマンみたいな、
バイ菌のバイキンマンをやっつけよう的な発想の
尺度でこれらの背景を考えたらどうなるだろうか?
だから、神も仏もない!!そんな話も出て来ます。
でも、無駄はないのです。
無駄も無駄を知る為に無駄があります。

そして、同じ守護霊が境遇に平等に於ける平等に
準じて担当者の紆余曲折の一部を
憑依補助した場合、バカ霊能や俗世観念では
同じ守護霊を悪魔と読んだり神様と呼んだり
天使や妖怪というわけです。
もっと言えば、
その守護霊達は霊体同士の視野でもある
霊視野でも姿を消せます。
だから、この世でも霊界でも天使や悪魔と言われても
人生の舞台裏の黒子になれるのです。
これが真価なのです。

さらに、人は100kgの大気からの重力に
逆らって立ってます。
さらに死に逆らうことで、生き長らえます。
そこを無視して、スピリチュアルに癒しを??
私からすれば、何を考えているのだ??
そう思わんばかりです。

さらに、霊体の皆さんが
着替えすらも出来ないと思うのだろうか?
神様っぽい服を着ていれば神で、
ジャージを着ていれば自縛霊だろうか?
同じ人物の守護霊であってもです。
これが、皆さんの尺度と私の尺度の違いです。
そして、守護霊達は輪廻出来ない
魂の構築体を選ぶから、幾世も担当できます。
厳密には宇宙の崩壊に魂を晒して
リセットして、いつかの宇宙の地球の創世記を
生き抜いて再び、我々側の人類に進化して
そういう次元の再構築越しに回らないと
この世に人として、肉体を纏った
転生が出来ないという話です。

ちなみに恐竜とか滅んだ生物の魂は
地球の周りを漂ったり、
宇宙果てを彷徨ったりしています。

さらに草木や動植物が現世の未来にで、
来世になる霊界の文明界にも
霊質ながらにあるので、
ある意味・・この世からすれば
草木のオバケかもしれません。
霊界の頃は、そう思わない・・
その思考が転生されると、
皆さんの俗世観念に行き着きます。
もっと言えば、霊界の頃の転生先現世への想像が
現世に転生された発想が
天国や地獄の宗教観等に反映されています。

だから言いうのです。
私の話は1円も生まないが、
空気や太陽と同じ価値があると・・・

余談を言えば、いつ日かの釈尊(釈迦)は
幾世か挟んだ後の現アメリカ大統領のオバマさんです。
布教活動が時代や国や職種が変わっても
選挙活動=宣教活動そのものではないか?
こんな露骨なシフトにも皆さんは気がつきません。

霊界族(一部は守護霊)の彼らには常識です。
さらに、俗人は祭った神しか神と認識しません。
それも、利害損得だらけの
境遇に於ける平等に反する、
養鶏場や畑みたいな品質管理を
幸福の平等だと錯覚してるといっても過言じゃない。
人の為を傘に、
自分供養(自己満足)が正義と錯覚しがちな、
この世の常・・

しかし・・これが世界を回しているのです。
毒と薬は同じで、人生も同じ・・
悲しみを知らない人間に、平和を平和と感じない。
しかし、感じないものを想像で感じても
人生の意味が半減します。
おが屑は挽いたあとの屑なのです。
法律や道徳心に於いては部分的には、
相反することもあります。
だからこそ、好き好まない苦境こそ
幸せを幸せと感じたり、逆境こそが
己の殻に籠りたいが、
殻の外から自分を考えなければ、
活路はない?
さらに、
死にたくなるほど嫌であっても、
実際に人生辞めたくなるくらいの
各々の価値観や境遇の中で
そんなスランプや挫折もあることだろうが・・
苦肉でも、そういう出来事が唯一の
そういう領域や尺度で考える機会だからこそ
人生そのものの価値が逆にあります。
さらに広い意味では、
相応のペナルティーがあっても
出直すところからしか出直せない・・
ない袖は振れぬ?
神も仏も関係無く、そういうものです。
霊界大使の私が言うのだから・・

私も悲鳴を上げながら、弱音を吐きながら
生きています。
ここは欧米人じゃないが、吐き出すという
デトックスがある意味、便秘解消なのです。
死ぬ時はお互いに来ますが・・
生きることも同じで、バイオリズムを知らずして
理想や形から入るから、
便秘を直そうとして、トイレを無意識に
我慢しやすい体質や日常を送っています。
仕事などでというなら、ある意味明らめるのです。
すると、お腹が痛くなり便秘解消?
心のデトックスも同じ性質があると思います。
弱音を吐かない人間が真っ先に
心を病みます。片足立ちでケンケンしながら
100km笑いながら進もうとすれば、
どうなることだろうか?

それでも何を悟っても、
本当のカンニングが出来ない!!
そういう人生がむしろ正解なのです。
それでも、人生終焉後には平等に明らかになります。



以上です。

また、宜しくお願いします。

Have a nice day!!


☆★☆★☆☆★☆★☆☆
 
皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 
 
☆★☆★☆☆★☆★☆☆


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まあ、、気が向いたら・・?
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それでも・・・

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最近結構、ここに居ます。笑




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