霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

「第二次世界大戦でのもう一つの記録」密室の戦争 ~日本人捕虜の尋問録音~(NHK国営放送)(500年以上先の人にも伝わるように、遠まわしな言い回しかもしれませんがね。))


密室の戦争 ~日本人捕虜の尋問録音~


イメージ 1


イメージ 2


イメージ 3


太平洋戦争のまっただ中、
尋問を受ける日本人捕虜の肉声が見つかった。
連合軍は極秘の尋問所に捕虜を集め
日本の軍事秘密や戦争犯罪について追求した。
祖国や戦場から切り離された密室で一人、
戦争の意味に向き合っていた捕虜たちの話に密着。



アメリカ公文書博物館で発掘されたレコード120枚、13時間の録音に日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。オーストラリア、ブリスベーン郊外で録音が行なわれた。1942年から1945年まで、この施設は極秘の尋問所として使用された。日本軍は勢力範囲を拡大した、マッカーサーブリスベーンに拠点を築き、秘密組織のATIS連合軍翻訳通訳部隊を立ち上げた。そこでは日系人などを集め、日本兵の捕虜尋問や遺体の日記の翻訳を行った。オーストラリア軍の資料室に詳細情報が残されていた。特に重要な兵の尋問を密室で行っていた。1105人の捕虜が尋問が行なわれた。残された音声の最初は海軍主計大尉の稲垣利一の尋問だった。稲垣は英語が話せたので、重要な捕虜と位置づけられた。尋問で、稲垣は日本の軍国主義の不信感を見せていた。東京帝国大学で外交官を目指し、海軍経理学校では中曽根康弘氏らと同窓だった。1942年8月、稲垣はニューギニアのブナに上陸、ポートモレスビー攻略を目指す無謀な作戦に参加。食料の供給が途絶え、兵士は次々と倒れた。連合軍の反攻の前に部隊は壊滅した。稲垣は尋問で、部隊の悲惨な状況を話した。稲垣は栄養失調とマラリアに倒れた。敵の兵士が近づき、稲垣は拳銃自殺を図ったが泥水に濡れた拳銃は発砲されず、捕らえられた。ATISは稲垣の取り込みを画策した。

日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。オーストラリア、ブリスベーン郊外で録音が行なわれた尋問で、捕虜となった稲垣利一大尉は日本語翻訳の仕事を依頼された。1943年10月14日の録音で、稲垣は一度受けた依頼を断った。稲垣は頼まれた仕事は戦争を早く終わらせることは日本国民にはいいことだが、協力は裏切りになることで葛藤していた。稲垣は死にたいので、拳銃か薬を求めたが、尋問官は責任を逃れる考えだと指摘し、説得をした。尋問官は日本の現状を伝え、早く戦争を終わらせるために協力を求めた。稲垣は決断を迫られ、苦しいと答えた。翌日、稲垣は仕事を受けると伝えた。尋問は約半年に及び、協力を決断した。

日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。1944年8月16日、海軍軍属の湯目國夫は軍の機密事項を追及された。 湯目は問われるままに答えた。ATIS連合軍翻訳通訳部隊の元尋問官だったアリスター・ケントウェルは捕虜には「宮本武蔵」と名乗るものもいたが、情報をえることだけ徹底したと話した。日本人の特性や弱点を分析し、日本人は捕虜となったことを身内に知られることを嫌がったり、義理に影響され、厚遇を受けると協力する。日本兵は諜報戦略に無防備で、自決することだけを促し、生きて捕まった時の対処は教育されなかった。元尋問官のハリー・タナカさんは米軍では捕虜となったら名前、階級、シリアルナンバー以外は何も言うなと教育されたが、日本兵は「捕虜となったら恥」とだけ教えられていた、質問に正直に答えていたと話した。連合軍は捕虜の情報を最大限利用し、戦況を有利に進めた。1944年10月フィリピンのレイテ島に再上陸、翌月東京への空襲が始まり、日本は追い詰められた。

日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。戦車の操縦士で陸軍兵長だった尾形駒三郎はルソン島で部隊が全滅、気を失っているところを捕虜となった。尋問で、尾形は戦場の悲惨な状況を話し、日本人が行った処刑について答えた。当時、連合軍は終戦に向けて、戦争犯罪の証拠集めを開始していた。捕虜となる直前、尾形はフィリピン人ゲリラの処刑を命じられたことを答えた。尾形は戦場での命令は絶対だと繰り返した。戦争犯罪に関する尋問は日本兵が1人の人間として戦争と向き合う時間だった。尾形が尋問後書き遺した供述書が見つかった。処刑したゲリラが弔われていてほしいと綴られていた。帰国後、罪に問われなかった尾形は68歳で亡くなった。三男の巳木雄さんと四男徳明さんに音源の発見を伝えた。20歳だった父の戦争を2人は葛藤した。巳木雄さんは聞いていたものより厳しい現実だったろうと話した。
尾形駒三郎は戦場での話をほとんどしなかった。

日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。オーストラリア・カウラには尋問の後、自ら命を絶った横田の名前が刻まれている。横田はニューギニア・グッドイナフ島で行なわれたオーストラリア人7人の殺人を追及された。横田は自らの関与を否定、明日全て話すとした夜自殺した。日本人は命を顧みない作戦をしていたが、連合軍は投降させる手段を探っていた。海軍主計大尉、稲垣利一は最後の尋問で幹部のブルックス大尉と話した。稲垣は協力してよかったと思う日が来ると伝えられた。

日本人捕虜が尋問される肉声が初めて見つかった。オーストラリア戦争記念館に稲垣利一のその後の足取りが発見された。稲垣はジョージと名乗り、FELO極東連絡局の一員となっていた。稲垣は日本兵を投降させるために一役を担って、前線で投降を呼びかけけるビラで最新の戦況を伝え続けた。ビラが900人の日本兵の投降をさせた。元FELOの幹部アルフレッド・ブルックスの妻であるマーガレット・ブルックスさんは夫が稲垣と会うことをためらっていたとした。稲垣は帰国後一度も連絡しなかった。稲垣は戦後海外の出版物の翻訳を行ない、戦争については話そうとしなかった。神奈川県で、甥の稲垣公夫さんと姪の稲垣伸子は戦後も持ち続けた苦しみの謎が解けたと話した。




________________________________________


私個人の感想になりますが・・

稲垣さんの聡明な選択肢やご判断なしに、
今の日本は無く、
人は上の絶対的命令となれば、
意味も解らないまま、人を殺めることも出来るという
忘れてはならない、極限状態とは何か?
それを思い起こさせる内容であり、
愛国無罪という言葉が適しているかは存じ上げないが、
国が間違えていると気がついたなら、自害した方が楽かもしれない
極限状態の中で、敵国に協力する心情などを、
後世の我々は、少しでも考えてみる必要があるのではないか?
そう思い、他のブログやサイトさんを引用して記事にまとめました。

私も、YouTubeの動画を見てる時の画面の横に
このような気になる、動画があったために、
見入ったなかで、記事にしようと思いました。

500年以上残る、霊界掲示板と同等の効力がある。
書籍を作ってのことです。

人生終焉後には平等に明らかになりますが・・
後世に残したい情報を記事にして、
霊界に送信するという、にわかに信じがたいだろうが・・
これが、霊界大使の一つの役目なのです。

霊が見えた?見えない?人が幸か不幸かなんて、
私としては、どうでも良いのです。
何故なら、人生そのものが魂の処方箋であり・・
境遇に於ける平等という真価の中で、輪廻は織成している。

それ以外に、結論も無い。
だから、フタを開ければ・・
あるがまま、何を思い?何をしたか?何をしたかったか?
そこを見失っても、気が付いたら見失わないように・・
それで良いのだと、少なくとも私は思います。

今の頃の霊界で、紹介した世代の方々が
霊界の文明や時代を作りあげています。
それが、いつか我々が霊界に帰った時の
背景を作りあげて、
それが来世へと繋がって行くのです。

その本質に、俗世解釈内の神仏など不毛な話なのです。
お付きの霊界スタッフ達にすら、鈍感なレベルで
霊能を語ろうと、宗教を語ろうとも、
実体こそ真実と言わざるえないわけです。
この世でも、あの世でも同じことなのです。

☆★☆★☆☆★☆★☆☆

以上です。

また、宜しくお願いします。

Have a nice day!!


イメージ 10




☆★☆★☆☆★☆★☆☆
 
皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 
 
☆★☆★☆☆★☆★☆☆


投票。。


まあ、、気が向いたら・・?
良いなと思ったらでよいです。

それでも・・・

クリックしていただけると励みになります。  
   

↓↓↓








☆★☆★☆☆★☆★☆☆




最近結構、ここに居ます。笑