霊界大師 眞魚.らすかる国王MAO の26世紀先の未来まで残す。TIME CAPSULE BLOG2011年~

26世紀先の未来まで残す~『タイムカプセル BLOG』これが、僕の人生を懸けた霊能力の活用法です。

昨日は・・お寺~山~釣堀に。その① 霊能者のお寺参り。

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霊能者の私自身は、どこにでもいる・・
浄土真宗大谷派西本願寺波かは忘れたが、
浄土真宗だ、ここは父方であり現世の家系のである西本願寺派で、
母方が大谷派門徒という流れらしい。
まあ・・広い意味では人類皆兄弟だ。
実際の霊界の話になると、
こういう俗世的な噛み合いは直接的には関係ありません。

そして、本当なら・・
親族は霊界で来世のベースとなる
二度目の人生をリスタートさせているので、
お墓や寺で暮らしているわけでもない。地底人じゃあるまいしw
さらにそうなると、守護霊達との絡みになるが・・
それだけなら、出向かなくても、その場で要件を念じれば済む話だ。
ここに居るのは、居合わせたこれからお帰りの通行霊達が主です。
確かに、死んだらお墓やお寺に住んで居るわけではないが・・
もちろん、守護霊達からも案内はされるんですが、
生前の先入観で、冠婚葬祭にまつわる場所である神社仏閣に行けば
誰か居るだろうという感覚で、直接そこに遺骨がなくても
公民館感覚で、霊界に帰る前に集まることは結構あります。
実際・・コンビニや居酒屋やスーパーにも多いが、
どうしても、我々の肉体そのものが絶縁体なので・・
仮に見えても、針の穴を除くことが出来る程度だから
この世の幽霊は居る?居ない?見える見えない?霊感が?
そんな話にもなるわけです。
裏を返せば、体が健全だからこその噛み合いもあります。

つまり、私がお寺に行く理由は本来は無いのです。
でも、しいて言えば
霊界に対する、意志表示の明確化がお参りという行為になります。
だから、霊界は来世のベースでもあるので、霊界でも生前通りに
彼岸やお盆に神社仏閣にお参りに行く人が多いのです。
その延長の現世という噛み合いが出てきます。


それでも、私もまた、この世を生きる側に他ならず・・
結局は念じるだけでは無く、
体を動かせという意味合いなのかもしれない。

そして、生きる中で切実な問題が無いわけではないが、
境遇に於ける平等の公平という、霊界の真価を知ると
そういう噛み合いのことを、願ったり相談しても
愚痴をこぼすくらいなもので・・

彼らはあくまでも、己の生き方を具現化させる為に黒子となって
我々の人生の舞台裏を・・
オバケなんて居ないさ!!とこの世の住人に言われながらも
そのオバケは居ない!!
そんな思考や価値観すらも、助長して居る感じです。
知れば、束縛感極まりない故に、知らぬが仏とは良く言ったものだ。
だから、何も考えないで、
そういう次元は霊界に丸投げして、
愚痴をこぼすくらいで、良いのかもしれないですが・・

その先の展開は、霊界の段階で己が選択した流れを
無意識に営んでいるので、流れに身を任せるしかない。
その中で、出来ること出来ないこと、何を思い?何をしたか?
その当たり前そのものが、総論になってきます。
霊界でも、そう教わった転生が今だから、霊界と同じことを
私は無意識に書いているのかもしれませんがね。

だから、酷ければ墓参りの帰りに交通事故で死ぬ人も居ます。
だから、それが答えなのです。

それでも、霊界の段階でも神社仏閣は、
霊界(人生の舞台裏)に意識を宗教という間接的な媒体で
一般でも無意識に意識を向けやすい、
もしくは・・アクセスする機会だから貴重というだけなのです。
それが必要な境遇の人には必要だとしか、正直言えないのです。
現世の家系という人生の根に、親族間の問題で活路があって、
そこと向き合う時期や境遇の人に意味があるが、
皆が皆、そうではないのです。

それでも、霊界側の警護が必要ならば・・
霊界の段階で意識が向きやすい、
神社仏閣は境遇に応じて意味を成しますが、
選んだ境遇が違えば、

その霊界の段階で過去世の欲求不満を基盤とした引き寄せを
霊界で実行した噛み合いが、
この世に転生しなければ、この人生でも皆が皆に
引き寄せられるものでもない。

だから墓参りだろうと慈善事業だろうと、不注意は怪我や事故の元で
そこから、身を守る為の方法が
心の不安の穴埋めだけの信仰心だけに偏り
ズサンになればでヒューマンエラーそのものをカバーできないのです。
しかしながら、その死で学ぶ人生もあるから、
そういう因果が織成す訳です。

だから、あくまでも、最後は自己責任の危機管理の問題です。
それを知る為の輪廻の時期の人は、
本当に何であれ事故に巻き込まれます。
この助言で、霊界での事故を、その転生の現世では回避してくれると
個人的には、良かったと思うが・・
霊界的には、相応の穴埋めを、
どこかかんかの輪廻の中には組み込もうとするので
そこをしっかり、解って行動するしないは大きいと思います。

最悪・・いつかの霊界で、身の周りの守護霊達に相談してみてください。
けして、鬼では無いので。

今こうして書いた?話した意味合いを感じ取った上で・・
神仏と向き合わないと、本当の真価はないのです。

だから、話は蛇行するが・・
霊界や守護霊達も鬼では無い、
何を思い?何をしたか?
そこを素直に墓前や神社仏閣で打ち明けるように念じこそすれば、
個人の事情に応じて親身に対応はしてくれています。
これを実行している人は、
端から霊界の段階で解っていた人間ということが
大半ではあるのかもしれんが、
私の記事も、気休めくらいにはなると
霊界の邪魔にならない程度に、
この世の皆に少しだけ、役立てばと書いてる次第で御座います。


そして、毒と薬は表裏一体であり。
霊界の段階で・・
どうしても、その事故死の展開が、
魂の生存本能部分の修繕目的で必要であり、
そういう先々の輪廻を重ねる過程で、
是が非でも
その修復法として、その先で精神が壊れたり病んだりしても、
死へのトラウマや個人や親族の悲しみや恐怖が
唯一の特効薬であり、
このままその部分を先送りに、営んでは・・
いつ世でも毎回同じ末路を繰り返すから、
この人生で、悪循環を区切る為に、
この死や末路を呑んだ方が賢明で、

一度の不条理な死で、
数十回分の輪廻で安泰に暮らせるだけの効果があるが、
どうしますか?
などと・・守護霊達に助言され、どうにも、
避けられない因果の場合の死への禊(みそぎ)として、
霊界でもお墓参りの帰りに二度目の死を選んだならば、
その延長の流れが、この世にそのまま転生されたなら、
そのまま、この世のでも具現化する結果になります。

死への事情や背景は、これに限らず
生き様や境遇の数だけ、テーマというのか?
プロセスが日常に埋もれています。

あまり真剣衰弱になっても、仕方がないのですがね・・


そういう意味合いの中で、

我々やこの世の常識では、悲劇でも・・
霊界や個人の輪廻の渡り方や歩むプロセスとしては、
意味があったことを意味するが、
そういう裏表の噛み合いが境遇の色合いを、織成している中で
これが本当のスピリチュアルというのか?輪廻の舞台裏なのです。
だから、癒しを本来求めるのは、
何か違うように思うわけです。

心のケアーなら、己の動機や背景を整理しながら
心のくすみを浄化しながらも、仮に記憶から忘れても
その痛みの大きさを、心には刻んでおくことは大事かもしれません。

裏を返せば、記憶に無いアレルギー反応みたいな症状も
この話の真逆の作用が関係するわけなので、
無暗に故意に押し殺して忘れるよりは、
苦しんでも、自分なりには向きあった方が、
そういう変な禁断症状みないのは防げます。

これは心理学による心理構造のジャンルになるのかもしれませんがね。
果てまたは、フロイトやら?脳科学
こういうのも、使えそうなら素直に活用した方が良いです。
それでも、己の為の知識が、知識に支配されるような
人間になることは、逆効果にも思いますがね。

そもそも、霊界的には霊界の事情があって、
宗教とこの世の噛み合いが間接的にはあるのだが、
我々の実生活そのものに於いて言えることは、
宗教の教えが、伝達網の未発達で物資のない時代にとっては、
貴重な知識や教養を媒介する必要なツールだったわけです。
だから、この時代の心理学や哲学が洗練し、
日本の我々のように一定の教育水準の義務教育課程を
得て居る我々には、宗教の教えを全て真に受けるなど
時代に逆行した衝動に思います。

背景としては、核家族化によって
特に母性愛というのか?温もりが満たされない
情緒不安が、この時代の背景に相反した
心の穴埋めとして、宗教依存が芽生えている部分が
あるのではないか?率直にはそう思います。


そういった中で・・
私がお寺に行く理由の一つには、
居合わせた通行霊の皆さんに、
霊界にお帰りの際は、霊界にもインターネットがあるので、
霊界で、「らすかる国王」もしくは、
21世紀の「佐伯真魚(さえきのまお)と
検索してみてください。
その霊界では、今の私も転生過程で忘れた
私の今後の展開も知るとは思います。
それでも、何を悟ってもカンニングが出来ないからこその
人世の真価もあって、無暗に解っても、
せっかく、忘れて転生してきた意味を損なうものです。
そういう私も死ぬほど苦しい時は、
藁にでも縋る身であることに違いはないが、
素面でいられる時だけでも、
そう思い続けて生き続けたいは思ってますね。

そんな挨拶と、幼少の事故以来は霊視野を封じているので詳細は
私の守護霊達が説明していると思います。
霊界の頃の微かな残像と、照らし合わせながら、
微かな合図みたいなラップ音と、動物的な感覚の気配だけですがね。
あと、お寺の関係者に憑依して、
キーワードのような言霊を伝えてくることもあります。

もう一つは・・
俺自身の半径10mが既に、歩く霊場みたいなものなので変ですが?
この世に生きる、同じ市民としての習慣そのものに理由も無い。
だから、行く理由は・・習慣なんだろうなあ。苦笑
今回は私生活の仕事でゴタゴタだらけで、
正月以来のお参りになりましたがね。

この先も、ある面、
先を思い遣られることばかりだが・・
できるだけ、その紆余曲折を噛みしめて
出来るだけ、喜怒哀楽を忘れずにとは思います。
これが霊界大使の下界公務や、輪廻の集約が渦巻いた
境遇なので、台風の目だと諦めるのも大事かもしれん。



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以上です。

また、宜しくお願いします。

Have a nice day!!


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皆様へ・・
いつもいつも、、こんな話につきあって頂いて
有難うございますm(_ _)m
そして・・
ご観覧してくれる皆様もどうもです。
その中には、生きている人達だけではないこともあります。笑w
 

でわ・・
 
 ☆しりとりゲーム続行です!!笑
 ペテルギウス版
 
 
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